2010年1月14日木曜日

聖書研究デスク 例えば マタイによる福音書

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マタイによる福音書
マタイによるふくいんしょ Gospel according to Matthew

1.プロローグ

新約聖書の冒頭におかれている書。「マルコによる福音書」「ルカによる福音書」とともに、共観福音書の一書にかぞえられる

2.成立

初期のキリスト教の研究者は、この書をマタイ、マルコ、ルカの3福音書の中で最古のものと考えた(したがって新約聖書の冒頭におかれている)。また、著者は十二使徒のひとりマタイで、70年のエルサレム崩壊の直前にパレスティナで執筆されたという。現在もこの見解はのこっているが、通説では「マルコによる福音書」がもっとも古いものとされる。福音書の記述およびそれ以外の資料にもとづく研究によると、著者はおもに「マルコ」と、「Q資料」とよばれるイエスの語録の2つを原典としてこの福音書をまとめたようである。ただし、「Q資料」は福音書の成立を研究するための仮説資料で、実在しない。

本書が使徒マタイの手になるものだという説にも疑問がだされている。しかし、本当の著者がだれであれ、ユダヤ人だということはほぼ確認されている。それは、この福音書がユダヤ人社会の戒律や律法や生活のきまりに何度もふれており、当然ユダヤ人をよく知る者によって執筆されたと考えられること、またユダヤ人キリスト教徒を読者に想定しているらしい箇所がいくつかあることなどから類推される。

この福音書が執筆された場所もわかっていない。パレスティナという説のほかに、シリアのアンティオキアなど初期のキリスト教の中心地だという説もある。執筆の時期については一般に70年以降、おそらく80年ごろと考えられている。

3.内容

「マタイによる福音書」は、イエス・キリストの5つの説教を中心に構成されている。5つの説教は、それぞれ、イエスの行いに関する物語によってはじまる。これらの挿話はいわば前置きで、各説教によって具体的に解釈されていく。中心となる5つの説教の前には序論がおかれ、後ろには本書の頂点をなす2つの物語がつづく。この最後の物語は、1番目がイエスの受難、2番目はその復活をえがいている。したがって、「マタイ」は全部で8つの部分にわけることができる。

序論(1~2章)は、イエスがヘブライ人の先祖アブラハムの子孫でダビデ王家の出身であることをしめしたうえで、その誕生と幼児期についてのべる(1章18 節~2章23節)。「マタイによる福音書」だけにしるされている有名な物語もいくつかある。たとえば、東方の賢者の来訪、すなわち「占星術の学者たちが東のほうから」(2章1節)きたことや、ユダヤの王ヘロデが男の幼子を皆殺しにするよう命令したため、ヨセフとマリアがおさないイエスをつれてエジプトへ逃亡したこと、そしてヘロデの死後に一家がエジプトからもどってきたことなどである。

下の5つの説教は、いずれも「イエスがこれらの言葉をかたりおえられると」という同じ文句でしめくくられており、おもに「マルコによる福音書」と「Q資料」から引用されている。最初の4つの説教はガリラヤを舞台とし、5番目の説教の舞台はエルサレムである。

1 第1の説教第1の物語(3~4章)には、洗礼者ヨハネによるイエスの洗礼、荒れ野での試練、そして宣教生活の開始がしるされている。つづいて山上の説教(5~7章) がえがかれる。イエスは自分が「律法」や「預言者」を完成するためにきたといい(5章17節)、群衆に対して「権威ある者として」(7章29節)教えを説いた。山上の説教には、真福八端(5章1~10節)と主の祈り(6章9~13節)もふくまれている。

2第2の説教第2の物語(8章1節~9章34節)は、イエスが信仰の力をとおして病人や老人をいやしたことをしめす。第2の説教(9章35節~10章42節)は、イエスが十二使徒に、「イスラエルの家のうしなわれた羊のところへいって」(10章6節)病人をいやし、神の言葉をつたえるよう命じ、使徒の制度を確立させたことをえがく。

3第3の説教第3の物語(11~12章)では、イエスの行いと教えに対してファリサイ派の人々がはげしく反論する。第3の説教(13章1~52節)の主題は天の国である。イエスはたとえ話の中で天の国についてかたり、群衆になぜたとえ話をもちいてはなすのかと弟子たちにきかれ、こうこたえる。「あなたがたには天の国の秘密をさとることがゆるされているが、あの人たちにはゆるされていないからである」(13章11節)。この説教ではさらに、種をまく人(13章18~23 節)や毒麦(13章24~30節)、からし種(13章31~32節)のたとえ話も、もちいられている。

4第4の説教第4の物語(13章53節~17章23節)は、イエスがナザレの人々にうけいれられないことからはじまる。さらに、洗礼者ヨハネの殉教、イエスがおこなった数々の奇跡と癒し、ペトロがフィリポ・カエサレア地方で信仰を表明し、教会の礎としてえらばれたこと、イエスがみずからの受難と復活を預言したこと、そしてイエスの変容がえがかれている。第4の説教(17章24節~18章35節)は、教会の運営に関するものである。なお、「マタイによる福音書」の16章 17~19節と18章17節が、4福音書の中で「教会」という言葉をつかっている唯一の箇所であることは注目に値する。

5 第5の説教第5の物語(19~22章)には、ユダヤからエルサレムにむかうイエスの最後の旅行と、エルサレムへの入城がえがかれ、神殿から両替人をおいだす場面も登場する。また、皇帝におさめる税金や復活について、「律法の中でもっとも重要なおきて」(22章36~37節)について、メシアの先祖について、イエスとサドカイ派およびファリサイ派の人々の間で議論がたたかわされる。

最後となる第5の重要な説教は、2つの部分にわけることができる。前半(23章)でイエスは、ファリサイ派の人々と律法学者を非難し、「外側は人にただしいようにみえながら、内側は偽善と不法でみちている」(23章28節)といった。後半(24~25章)では、この世が終わりをむかえるときにどのようなしるしがあるかを使徒におしえた(24章3節)。さらに、イチジクの木のたとえ(24章32~33節)、10人の乙女のたとえ(25章1~13節)、タラントンのたとえ(25章14~30節)をとおして、天の国がくることをおしえ、最後の審判をくわしく説明した(→ 終末観)。

5つの説教につづく2つの物語の第 1(26~27章)は、イエスが香油をそそがれたこと、ユダの裏切り、最後の晩餐(ばんさん)、ゲッセマネの園で苦悩するイエスとその逮捕、裁判、磔刑、イエスの死、埋葬をえがく。第2の物語(28章)は、イエスが復活し、使徒を国じゅうに派遣して宣教させたことをえがいて福音書をむすんでいる。

「マタイによる福音書」に固有の記述や細部は、これら2つの物語の中にある。たとえばイエスを裏切ったユダが自殺したこと(27章3~10節)や、ローマ総督ピラトの妻がみた夢(27章19節)、ピラトがイエスの死の責任は自分にないといって手をあらったこと(27章24~25節)、イエスの死の後におこった地震(27章51~53節)、イエスの墓の番兵(27章62~66節)、イエスが復活するときにおこった地震(28章2~4節)、そして復活したイエスがマグダラのマリアとヤコブの母マリアの前に姿をあらわし、その後、ガリラヤで弟子たちの前にあらわれたこと(28章16~20節)である。

4.特徴

「マタイによる福音書」の特徴は、イエスが約束されたメシアであり、律法がさだめる「ダビデ王の子」であることを強調し、教会に関することがらを重視していることにある。本書がユダヤ人キリスト教徒のために書かれたことは、旧約聖書を成就する者としてイエスをえがいていることなどから推測される。さらに独特なのは、ペトロを十二使徒の中の最優位においていることである。ペトロはイエスに指名されて「天の国の鍵(かぎ)」(16章19節)をさずけられている。

使徒に関する記述は4つの福音書のいずれにもあるが、本書ではとくに強調されている。イエスが使徒たちをどうよんだか、どのような説教をしたか、彼らがイエスをいかにして裏切り、しかし復活したキリストがいかに彼らをゆるしてふたたび弟子としてむかえたか。「マタイによる福音書」には、これらのことが具体的にしるされている。

この福音書は、成立した当初からキリスト教に重要な影響をあたえてきた。真福八端や主の祈りやキリストの受難の話は一般によく知られており、ほかの福音書にも同じような記述があるが、朗読されたり引用されるのは「マタイ」からが多い。

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元エホバの証人、増岡紳吾(ハンドル)氏による。Q&A形式を用いた解説と網羅的なリンク集は、エホバの証人について一から知る上で有益。名古屋を起点とした交流を呼びかけている。

リ ン ク 集



リ ン ク 集
エホバの証人関連: 日本語サイト
エホバの証人情報センター保管庫 エホバの証人を家族に持つアメリカ在住の日本人医師、村本治氏のサイト。96年5月開設。当時から日本語では手に入りにくい貴重な文献を紹介。インターネット上での情報公開をリードする(2006年5月をもって凍結され、現在は保管庫で閲覧できます)。
JW.com 「エホバの証人についての情報サイト」 【JW.COM「エホバの証人」についての情報サイト】 社会学、社会心理学、法律学などの観点からJW社会に見られる現象の原因に鋭く迫っている。
エホバの証人Q&A 元エホバの証人、増岡紳吾(ハンドル)氏による。Q&A形式を用いた解説と網羅的なリンク集は、エホバの証人について一から知る上で有益。名古屋を起点とした交流を呼びかけている。
昼寝するぶた エホバの証人問題を考える元2世のサイト。心に傷を負ったJW2世たちに向けてご自身の解決方法を紹介している。管理人自らの人生の歩みを記したプロフィールは必読。また自らを語る中に見え隠れする、1960年代のエホバの証人事情も興味深い。
自然消滅サポート倶楽部 自然消滅を果たしている元エホバの証人たちにより運営されている、エホバの証人を辞めたい人のためのホームページ。自然消滅の体験談が掲載されている。掲示板で情報交換ができる。
エホバの証人が尋ねる質問 現役のエホバの証人と対話する際に必ずと言ってもいいほど頻繁に出てくる質問、主張に対して、元エホバの証人二世の管理人さんが回答、反論しています。
エホバの証人の子供たちのHome Page エホバの証人の子供の現状に心を砕き、執筆やホットラインなど、ネット草創期から数々の活動をしてきた秋本弘毅氏による二世のためのサイト。複数の掲示板がある。
(元・現)エホバの証人のための相談室ピア・サポート 「陽だまり」 かつてエホバの証人であった人、あるいは、いまエホバの証人である人が悩み事を相談できるサイト。ホットラインの電話やメールにて、相談に応じている。
元エホバの証人2世のメモ エホバの証人二世として、自分にとってエホバの証人体験の良かった点も悪かった点も冷静に見つめるサイト。
freedom-child.com 中立的な立場で、辞めた後のトラウマの癒しなど考えるエホバの証人二世によるサイト。メニューを利用するにはJava scriptをONにしておく必要がある。
灯台社または燈台社または燈臺社を調べるぺえじ 日本におけるものみの塔協会の前身である灯台社に関する資料や情報を集約したサイト。
エホバの証人の夫たち 恢復へ向かう志 日本マイコン研究会による。同会はJWを妻に持つ夫たちの集まりとして96年11月に結成。『愛する人をものみの塔から救出する方法』(デービッド・リード著)、『法廷における嘘と宗教:エホバの証人の神権的戦いの教義の分析』(ジェリー・バーグマン)の翻訳など。
「エホバの証人」と進化論 浄土宗住職による研究のひとつ。エホバの証人出版物の誤りを、科学的側面から検証する(1988年発表)。
創造と進化論 科学と疑似科学の違い 科学と疑似科学について、専門外の人にもわかりやすく解説。疑似科学に対する筆鋒は鋭いが、創造説に対して敵対的な態度をとっているわけではない。エホバの証人の書籍における間違った引用を解説するページもある。
真理のみことば伝道教会 83年以来、日本の証人の救出をリードしてきたウィリアムウッド氏による。同協会は、氏が88年、異端からの救済を重点に設立したキリスト教伝道機関。ニュース・レター「真理」を隔月発行。サイトでは「真理」の記事を選んで転載。2000年までの記事はこちらから。
日本バプテスト教会連合 市川北教会 エホバの証人研究コーナー:「中澤啓介牧師&新世界訳研究会」などの有用な資料を掲載。
『エホバの証人をキリストへ』新世界訳研究会、中澤啓介牧師(日本バプテスト教会連合・大野教会)の名前で書かれた記事を掲載。教会は福音派の聖書信仰に立つ。
『良心の危機』日本語版の翻訳者、樋口久氏のサイト。『良心の危機』の注文はぜひこちらから。
輸血を拒否する前に
エホバの証人と血の教え 血の教えに関する組織内部の「改革の為の討論の材料を提供」を謳っている。将来、輸血禁止の方針が変更されるか、全く廃止される可能性を予告する。執筆には現役の長老が当たっている。
聖書は輸血を禁じていない [聖書は輸血を禁じていない エホバの証人の輸血拒否の誤りについて]日本福音同盟(JEA)神学委員会の輸血に対する福音的理解。
輸血拒否事件 インフォームド・コンセントは患者を救わない=輸血拒否事件=医学博士、名取春彦氏による。高裁判決の読み方や、輸血拒否に見られる社会への甘えを指摘する。
踊る麻酔科最前線 [踊る麻酔科最前線=「エホバの証人」=]現場を預かる医師から、ものみの塔協会への反論。輸血拒否患者に対応する困難、医師の側の良心、高裁判決に関わった原告側弁護士に対する反論など満載。
兵庫県立淡路病院麻酔科 [兵庫県立淡路病院麻酔科の外科的輸血に対する考えと内容紹介]輸血を拒否した場合、どの程度危険なのかを、第一線の麻酔科医が極力専門用語を交えないで説明する。
エホバの証人と輸血の問題 筆者は元エホバの証人ですが、患者の権利は認められるべきであり、エホバの証人も例外ではないと認めています。しかしながら、医療上の正しい判断をするためには正確な知識が不可欠であるとの理由から、輸血をめぐるさまざまな事実や判断する上で基準となる情報などを提供しています。
エホバの弛緩出血Hb2.7 [話題0021 エホバの弛緩出血Hb2.7]おもに救急集中治療に携わる医師たちが参加するメーリングリスト「CCN-ML」の過去ログ。98年3月、札幌医大に搬入された出産後弛緩出血の証人の患者が危機的な状態を脱するまでの経過と、専門医(主に麻酔医)たちによる率直な意見交換。
生きるヒントを与えてくれるサイト
ライフスキルのページ<自分らしく生きるための道具箱> 他人との摩擦を回避しながらも、いかに自分らしく生きることができるのか、フラッシュによるアニメを見ながら対人関係のライフスキルを磨くことができる。HTML版では「自己信頼」「感情対処」「自他境界」「自己決定」などに関するスキルも取り上げている。
世界傑作格言集 いわゆる格言だけでなく、恋愛に関する話など、人々の心の機微から生まれた言葉は時にうならせたり、時に微笑ませてくれる。
加藤諦三ホームページ 青年の人生相談(とりわけ親子関係の悩み)や著作を多く手がけてきた氏の公式ホームページ。
英語サイト
Watchers of the Watch Tower World 元ブルックリン・ベテル長老によるサイト。組織の最新情報などに加え、ベテルの内幕、証人社会における子供・女性・黒人の悩み、ユーモアページなど、バラエティ豊かな内容になっている。機関誌Free Minds Journalの購読も可能。
BEACON light for FORMER JEHOVAH'S WITNESSES 元統治体成員Raymond Franzや歴史学者James Pentonと親しい方によるサイトで、彼らのプロフィールやその後の人生もここで紹介されている。元証人の大会や、現役や元証人を電話でサポートするホットラインも運営。
Beyond Jehovah's Witnesses 主として、自主的脱会に関するサイト。証人として抱える悩みを取材したアンケート、断絶届の書き方、現役と脱会者の心理など。
Comments from the Friends Jesus Witnessesの一員である David Reed氏が主宰を務める。ものみの塔協会の教えが原因で亡くなった数々の人々を詳細に取り上げ、亡くなっていかれた理由、状況、また彼らの個人的な背景を全て実名で載せている。
Hourglass2 Outpost 証人に関する公開掲示板として、恐らく世界最大規模のもの。現役、改革派、元証人が連日活発な意見交換をしている。
Jehovah's Witnesses 彼らが信じること以外の内容を記した出版物を読むことをなぜ禁止するのか、を一つの主題としている。長老だけが持つことを許されている王国宣教学校の教科書も掲載。
Jesus' Witnesses 同名のメーリングリストのホームページ。JW FAQ(よくある質問)はとてもよくできている。
Women-Awake! 女性専用のメーリングリストへの入口。証人社会で傷ついた人たちを支え合う、涙と笑いと発見と励ましにあふれた、すぐれた書き手ぞろいの場所。

※ このリンク集は、訪問してくださった皆さんの便宜をはかるためのものであり、リンク先の内容やその妥当性を100%保証するものではありません。閲覧・利用は皆さんのご判断でお願いします。

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当MLによく寄せられる質問と回答 (2007年6月10日第5版)

当MLによく寄せられる質問と回答

(2007年6月10日第5版)

このページの更新履歴
目次 (質問をクリックすると回答にジャンプします)
■スタッフ編 ■メンバー編

* 実はMLは現役証人や協会の偽装した罠ではないかと不安です。
* MLは何かの団体とつながりがありますか。



* どんなメンバー構成ですか。
* メンバーページにはどうすれば入れますか。
* 携帯電話で参加できますか。

■セキュリティ編 ■費用編

* コンピュータウィルス対策はどうしていますか。
* プライバシー対策はどうしていますか。



* 年間維持費はどのくらいですか。どのように賄われていますか。
* 会費を取りますか。寄付をしたいのですが、受け付けますか。

■投稿編

* ROM期限は何のためにありますか。どのように運用されますか。
* 過去ログはどのように扱われますか。
* メールを送ったのにMLに配信されません。
* メールを70字で折り返す設定にしても、おかしくなります。


【スタッフ編】
実はMLは現役証人や協会の偽装した罠ではないかと不安です。

宗教を志すような人なら、より良く生きたいという気持ちがあったはずですが、いつのまにか人を欺くことを正当化するようになったとしたら、悲しいことです。JW全てがそのような人とは思いたくありませんが、そんなことをする人より、一般の方のほうがずっと誠実で信義があると思います。

ネットは顔の見えない交流ですから、おっしゃるような不安を感じる方がいても責めるつもりはありません。実際、今は活発に発言していても、当初はそのような不安を感じ、過去ログを読んでようやく安心したと告白する方もおられます。

運営スタッフ同士は個人的に長い付き合いであり、気心も知れた友人同士で、そのようなたくらみに関心すら持たない人たちです。HPで詳細な横顔を公開したり、オフ会にも顔を出しています。仮に当MLにそのような裏があったとしたら、1998年の開設以来、多くの方が参加してこられたのに、隠し通すことはできなかったでしょう。

生身であろうとネットであろうと、信頼関係は育てるものです。これ以上は私たちとのやり取りの中で見極めていただけたらと思います。

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MLは何かの団体とつながりがありますか。

元証人を支援しようとする活動は現在各種あります。それぞれの目的や活動内容があり、それぞれに特色があるため、関心を持つ方もおられると思います。どのような団体と接触するかは個人の自由であり、参加や情報交換を制限するつもりはありません。

MLでそうした団体の話題が出ることもありますが、それをもってそれらの団体とつながりがあると言うのは余りにも論理の飛躍です。もしそうなら、過去に仏教や天理教が話題になったこともありますが、その都度同じ事を言われないといけないことになります。

運営係には、牧師と古くから面識がある者、被害者集会に出たこともある者もいます。ですが、今まで一度も改宗を勧められたことはありません。私たちはそれらの団体とは何の利害関係もなく、今はまったく接触がないのが現状ですし、過去の運営係の中にもそのような団体の利益のためにMLを用いている人はいませんでした。それは長いつきあいで隠せないものです。

過去にはメンバー同士で、まったく善意からと思いますが、MLで悩みを吐露した方に早手回しに相談者(心理学関係)を紹介してしまい、困惑されたことがあったようです。そのため、当MLのルールの欄に「ご本人が望まない限り援助しないで」という項目を加え、ご協力をお願いした事があります。

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【メンバー編】
どんなメンバー構成ですか。

これから参加しようとするコミュニティの顔ぶれが分かれば、クローズドなMLに参加する上での不安を取り除けるかもしれない…。そう考えて、参加者のプロフィールをどこまでなら公開できるか、何度かMLで話題になったことがあります。

 プライバシー上ほとんど公開したくないという厳しいご意見から、参加者の居住地を地図に表記したらという大胆なご意見まで多岐にわたりましたが、この程度ならさしつかえないだろうと思われる範囲でご紹介します。
参加人数 50~60人前後
年代 20~50代
男女比 やや男性が多い
一世・二世の比率 1対2くらい

(2005年6月末現在)

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メンバーページにはどうすれば入れますか。

メンバーページ入室に必要なユーザー名とパスワードを、以下の方にのみ発行しております。

1. 当MLのメンバーとして既に登録されている方。
2. ある程度、メールのやりとりに参加している方。
3. 上記の条件を満たして、運営係に申請をされた方。

このような方針を採っているのは、当MLがクローズドな場であるのと同じ理由です。現役証人の方やプライベートな書き込みをする方が、自分の投稿がどんな人に読まれているのかという不安を極力取り除くためです。

メンバーページには過去ログ(これまでの投稿)や、メンバーからの寄稿などが収録されています。
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携帯電話で参加できますか。

当メーリングリストは以下の理由から携帯電話によるご参加は向かないと考え、基本的にはお断りしています。

1. 文化の違い
* 道具と会話の仕方とは浅からぬ関係があり、同じ人でも面談・手紙・電話・メールで印象が違うことがあります。インターネットでも、掲示板・チャット・メーリングリスト・ブログ・SNS等で、自分の出し方(いわゆるネット人格)が変わることは珍しくないようです。
* メーリングリストは時間をかけて深い意見交換をすることが多い場です。大きな画面で見ながら、時には何日もかけてじっくり文章を書けるPCメールと、短レス即レスが基本の携帯メールは、なじみにくいものです。
2. 技術的問題
* 携帯では受信文字数に限界があり、メールが途中で切れてしまうことがあります。これは大きな勘違いの元になります。
* 当MLはウェブサイトと連携していますが、携帯では閲覧できないページもあり、話がかみ合わなくなる恐れがあります。

とはいえ上記は原則的な話で、個々の事情によりケースバイケースで対応したいと思います。

2006年5月14日、携帯向けサイトを開設しました。この目的は、PCをお持ちでない方が当サイトの資料を携帯電話で閲覧していただくためです。

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【費用編】
年間維持費はどのくらいですか。どのように賄われていますか。

ホームページ・複数メーリングリスト・ドメインネームの維持費が合計で年間数万円(※)です。これを4人の運営係で負担しています。

「高いのでは」というご意見もありますが、無料サーバや広告付きホームページなどを検討・試験運用してみた結果、安定性に難がある・送信から配信まで時間がかかりすぎる・過去ログを預かる以上セキュリティ面で信頼できるサーバにしたい等の理由から、現行の形に落ち着きました。

逆に、セキュリティを高めようとすれば技術的解決策はいくらでもあるのですが、年間数十万円になってしまいます。研究開発・医療・法律関係のMLならいざ知らず、一般民間人がボランティアでしていることにそこまで掛けるのは行き過ぎと思いますので、現状がほど良いレベルかと感じています。

※2005年7月に新サービスに乗り換え、機能は大幅強化しつつ、費用は格段に下がりました。

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会費を取りますか。寄付をしたいのですが、受け付けますか。

前述の通り、ボランティアで成り立つものなので、会費はいただきません。

寄付については、時折ご親切な申し出をいただき、お気持ちは大変ありがたいのですが、以下の理由からご辞退申し上げております。

1. 基本的にメール配信だけで、寄付をいただくほどの活動はしていません。
2. JWで寄付と言えば半ば強制的な会費と同義であり、寄付を受け付けていると言えば、何か大々的で営利を得る活動をしていると感じる方がおられるかもしれません。
3. 同好会やボランティアは法律上「任意団体」に分類され、寄付収入は課税対象となります。申告が嫌だという意味ではなく、将来運営係を引き受けてくださる方のためにできるだけ簡素に保ちたいと思います。
4. 私たちとしては、投稿してくださることが寄付以上にうれしいです。何よりも、MLで吐露した後、社会復帰してがんばってくださることが最大の報いです。
5. 何かの企画が持ち上がった時にボランティアを申し出て下さる方が幾人もいらっしゃいます。実際問題、金銭的な支えよりもはるかに助かります。

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【セキュリティ編】
コンピュータウィルス対策はどうしていますか。

万一参加者がウィルスに感染されてもMLに感染メールが流れないよう、以下のような対策を施しています。

1. 投稿サイズに20KBの上限を設けています (大半のウィルスはこれより大きいため)。
2. 外部からメールを受信する機会の多い運営係は、全員ワクチンソフトとファイアウォールソフトを導入し、定義ファイルを最新に保っています。これにより、電子メール感染タイプとネットワーク感染タイプのウィルス・ワーム・トロイの木馬に自ら感染しないよう心がけています。
3. MLにウィルス情報と対策を随時流し、注意を呼びかけています。
4. 2005年7月からサーバを引っ越し、システムを大幅に変更しました。その際、MLにもウィルスチェックをかけることにしました。利用しているのはさくらインターネットのサービスです(Macウィルスには未対応です)。

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プライバシー対策はどうしていますか。

以下のように行っています。

1. 当MLは「入会登録したアドレスしか配信されず投稿もできない」という意味でのクローズドな場です。運営係の入会審査を経た方しかメールが配信されませんが、配信されたメールの取り扱いは個々の良識に任されています。
2. 入会申請メールは運営係全員に配信されます。これは、入会審査の負担を特定個人に掛けることなく、懸念がある場合は複数の合議により採否を決めているためです。この時点で本名を明かしてくださる方もおられますが、全員が固く守秘義務を守っています。
3. 新規に入会される方は、メールソフトの送信者名を確実にハンドルに変更されるまで登録しません。
* 気をつけていただきたいのは、送信者名の設定はあくまで皆さんにしていだたくしかない点です。同じメールソフトをML用・個人用に使っている方の中には、うっかり本名にして送信されるケースもあります。その場合、過去ログ収録時に修正します。
* たとえ本名で送信しようとしても強制的にハンドルに変換することは技術的には可能ですが、別途費用が発生するため、現時点ではそこまでしていません。送信前にくれぐれもご確認ください。
4. 過去ログが保管されているメンバーページは、現在登録されているメンバーしか閲覧できません。外部から侵入されることのないよう、セキュリティ保護がされています。退会された方のパスワードは抹消しています。
5. メンバーの方であっても、ダウンロードソフトで一括して過去ログを取得するのはご遠慮いただいています。また、問題があったときに備えて、アクセスログを記録していますので、誰が閲覧したか分かるようになっています。
6. MLにおいては本名・住所・電話番号・地名・会衆名など、個人を特定される情報を流さないようお勧めしています(勿論、ご本人が公開してもいいと判断される場合は、この限りではありません)。
7. 会社からアクセスする方はIPアドレスから会社名が特定される可能性がありますので、ご注意下さい。

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【投稿編】
ROM期限は何のためにありますか。どのように運用されますか。

せっかく入会された以上、長く留まっていただきたいのが人情ですが、以下のような理由から無期限に配信を続ける訳には行かないと判断しています。

1. 人の気持ちは変化します。もうこの話題は必要でなくなったのに、何となく言い出しにくくてそのままにしている方もおられるかもしれません。
2. 中には忙しいせいか、メールチェック自体していない方がおられます。その場合、メールボックス(サーバの未読メール保管容量)が満杯になって、そのアドレスに送信することができなくなってしまいます。その場合、しばらく様子を見た上で配信を停止することがあります。当MLに参加される場合、少なくとも一週間に一度はメールチェックなさるようお願いします。
3. 書き込まない/書き込めない方には色々な事情がおありと思います(忙しい、身体的精神的に不調、関心のある話題がない)。逆に、活発に書き込んでおられる方にとっては、あまりご自分を明かさない方に真情を吐露したメールを読まれるのは不安だという方もおられます。
4. この、ROMの顔が見えないという問題については、全員の自己紹介文をメンバーページに保管し、心境の変化に応じて各人が自由に変更できるシステムを構築しています。
5. いかに個人を特定されないよう気をつけていただくとはいえ、時にはかなり個人的な内容の投稿がされる以上、きちんと管理されているのか、読まれているのかさえ分からない方に、いわば垂れ流しにするのは、せっかく書いて下さっている方の気持ちをくじくのではと思います。
6. 他のクローズドMLの管理人さんに伺い、このような回答を頂戴し、参考にさせていただきました。
7. 勿論、現実的に考えて、MLとの関わり方は各人各様で、様々な参加形態が許容されるべきだとも考えます。

以上を考慮した上で、次のような方法を取らせていただくことにしました。

* 年に3回、一定の間発言がないメンバーには、運営係は以下の確認のメールを送信します。
* 2週間以内に確認メールに返答がない場合は、配信を停止します。
* 確認メール以前に、配信が不必要になった場合や、メールを読むことが困難になった場合は、運営係までご一報ください。

以下 確認メール

○○さん、こんにちは。ご機嫌いかがでしょうか。MLルールの5.で明記しましたルールに基づいて確認のメールを差し上げました。

配信を継続されたい場合は、簡単な近況とともにその旨、運営係までお返事下さい。お返事の代わりに、MLに近況を投稿して下さったり、自己紹介ページをアップデート(更新)して下さっても結構です。○月○日までに、確認メールに返答がない場合、メールが読まれていない、届いていない可能性を考え配信を停止いたします。

再度登録をご希望の際は、遠慮なく運営係までご連絡下さい。メンバーへの通知と併せて、速やかに配信を再開します。

***************************
Stopover登録係
***************************

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過去ログはどのように扱われますか。

期間を区切ってメンバーページに保管しています。閲覧するには、現メンバーであること、パスワードを申請し発行されていることが必要です。

投稿された方の著作権を保護する必要と、共有財産として役立てたいというニーズの両立は、今ネットでホットなテーマのようです。運営係は、皆さんが真剣に心から書いてくださるお気持ちを粗末にしたくないと思います。決して本人の許可なく無断で引用・公開しないよう注意を呼びかけています。かたや、珠玉のような書き込みはMLの宝ですし、後から参加される方にも読んでいただきたいと思います。削除要請がされない限り、その扱い(つまり、保管)については運営係に一任されたものとみなさせていただいています。

2004年10月にMLで行われたアンケート結果を受けて、以下の通り過去ログ保管方針を変更することにしました。

* 意見部屋→全件保存
* 喫茶部屋→全件保存
* 吐露部屋→直近1000件のみ保存

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メールを送ったのにMLに配信されません。

MLにメールを投稿すると、fmlという管理ソフトにチェックされ、特定の条件では配信されない仕組みになっています。
原因 対策
■設定に原因がある場合
1) 登録外アドレスからの投稿

* クローズドMLでは、登録されたアドレスでしか送受信できません。



* 複数アドレスをお持ちの方は、どのアドレスから送ったかご確認下さい。
* アドレスを変更された場合は再登録の必要があります。運営係にご連絡下さい。

2) 本文が長すぎる。

* ウィルス対策上、投稿サイズに20KB(全角約10,000文字)の上限を設けています。



* 長文になったときは送信前にサイズをご確認のうえ(いったん下書きフォルダに入れると確認できます)、必要なら分割して下さい。
* 実際の送信時はサーバ経由情報が追加されるので、いくらか余裕を見て下さい。
* 他の方の投稿をまるごと引用するのは控えましょう。
* HTML形式でなくテキスト形式にするとサイズを小さくできます(Outlook Expressの設定方法はこちら)。
* ファイル添付はしないで下さい。

3) 送信者名に括弧が入っている。

* ( ) や < > などはセパレータ(分離文字)という機械言語として解釈され、正しく閉じていないと処理できません。



* 送信者名に( )や< >は使わないで下さい。

4) MIMEエンコードが正しくない(文字化けの原因)。

* Outlook Expressで、MIMEを8ビット、またはUUENCODEにした状態で、送信者名に漢字を使っている。



* オプション>送信>メール送信の形式>テキスト形式の設定で、MIME/エンコード「なし」/8ビットオフにして下さい。
* 参考サイト: Outlook Express 文字化けの話

■ネットワークに原因がある場合
5) 中継途中でメールが迷子になった。

* スパム、サイバー攻撃、エラーメールなどでサーバに負荷がかかり処理が遅れることがあります。



* 数時間経っても配信されないときは、二重投稿を気にされず再送してください。

6) サーバがダウンしている。

* メンテナンス等により、システム自体が停止している。



* 復旧までお待ち下さい。このような場合はできるだけ前もってお知らせします。

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メールを70字で折り返す設定にしているのに、おかしくなります。

まず、この質問の背景を説明します。

たとえば今ご覧になっている文章は、画面の右端まで行くと次の字がちゃんと下の行から始まっていますね。これを折り返しといいます。電子メールの場合は、ソフトで「何文字目で折り返せ」と設定してあげる必要があります。さもないと、長い文章を送ると、相手によっては画面に収まらず、いちいちスクロールしなければなりません。

そこで、当MLではメールソフトの70字折り返し設定(自動的に改行される方法)をご案内してきました。「70字」とは英語(半角文字)の数え方で、日本語(全角文字)では35字になります。

ところが、こんな現象が報告されています。

* 設定しているのに、全然改行されない。
* 逆に、変なところで改行される(文章の途中、二重の改行)。

これは、OSのバージョンがWindows XP Service Pack 2になっているパソコンで、メールソフトのOutlook Expressをお使いの場合に起きます。困ったことに、これは標準で入っているソフトなので、多くの方に該当します。それぞれのケースでご説明しましょう。

【ケース1】 Windows XP Service Pack 2になっている

これを確認するには、Outlook Expressの「ヘルプ」→「バージョン情報」をご覧下さい。xpsp_sp2という文字があれば、YESです。このバージョンで、ありがた迷惑な変更が行われました。

このバージョンで、半角スペースを折り返しの目印にすることになりました。英語の場合は、ひと続きの単語を途中で切らなくなるので好都合ですが、日本語のように文字を連続して打つ場合は区切りが分からず、その結果、折り返さなくなります。(マイクロソフト社の説明: Windows XP Service Pack 2 適用後、Outlook Express で折り返し設定が有効にならない)

* 手動の改行 ←とりあえず、必ず反映されます。
* 折り返し設定 ←半角スペースがあると有効になります。
* 半角スペース ←その場所で折り返そうとします (実際に折り返すかは字数設定次第)。
* 返信された時につく引用マーク ←1行の字数を増やしてしまいます。
* 相手も同じソフト ←同じ現象がもう一度起こります。

これらの原因が重なり、文章はガタガタになってしまいます。

対策としては、以下のどれかになります。

* 同社の説明通り、レジストリを改造します(←間違うとパソコンが起動しなくなるので、お勧めしません)。
* Outlook Expressを使わず、他のメールソフトに乗り換えます。
* または、以下の方法を取ります。
1. 要は、変な折り返しが発生する条件がそろわないようにしてやれば良いのです。
2. 「オプション」→「メール送信の形式」→「テキスト形式の設定」→「送信時に自動的に文字列を折り返す」→最大の132文字に設定します。こうすれば、半角132文字(全角66文字)までは、半角スペースがあってもなくても勝手に折り返す心配がなくなります。
3. ただし、このままでは横長メールになります。文章を打つ時に一定間隔、たとえば半角60字(全角30字)毎に手動で改行を入れましょう。
4. いちいち数えるのは大変という方は、ものさしを使いましょう。たとえば、以下の装飾は全角30字です。

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
o メールを書くときに、上の装飾をコピー貼り付けして、それを超えないように改行を入れます。
o または、上記を使った署名を作ります。(署名の使い方はこちらのサイトが参考になります)。
5. 送信結果を前もって確認するには、一旦[送信トレイ]に入れてクリックして下さい。あらかじめ、「オプション」→「送信」の「メッセージを直ちに送信する」のチェックを外しておきましょう。[送受信ボタン]を押せば送信されます。

【ケース2】 Windows XP Service Pack 2になっていない

この場合、折り返し機能が設定通りに働きます。が、相手の側で上記現象が起きるのを見こした対策が必要です。

* 自分で改行を入れる習慣のある方 →上記と同様の対策を取って下さい。
* 改行しない方 →従来の折り返し設定で大丈夫です(万全を期すなら、上記対策が無難です)。

参考サイト: 返信メールの引用部分が勝手に改行される!

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当MLへのお問合せ・ご提案はSTOPOVER運営係(アドレスはトップページ)までどうぞ。

1. 紹介の言葉
2. エホバの証人になった人々が抱える問題例
3. メーリングリストで話されてきたこと
4. STOPOVERこれまでの歩み
5. エホバの証人の方々への警告
6. メーリングリストシステムおよび運営係
7. 参加資格とルール(参加申込はこちらから)
8. 当MLによく寄せられる質問と回答

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参加申込フォーム



プロクシ経由でアクセスされている場合、このフォームから参加申込をすることはできません。会社からのアクセス、ケーブルテレビの回線をご利用の場合、このプロクシ規制にかかることがあります。その際は、下記必要事項を記入したメールを直接登録担当宛(アドレスはトップページ)にお送りください。またフォームを利用することに抵抗を感じる方も、メールで申込していただいて結構です。

■ メーリングリストで使用するハンドル名(ペンネーム):

■ 性別: 女 男

■ 年齢:

■ バプテスマを受けた年(未献身の場合、不要です): 西暦 年

■ ご自身の現在の立場: 排斥 断絶 自然消滅済み 自然消滅中 その他 

■ お住まいの都道府県名:

■ どのサイト(ホームページ・サーチエンジン)経由でこのMLをお知りになられたのか:

よく分からない場合は、不明と入力してください。

■ メールアドレス:
メールアドレスに間違いがないかご確認下さい。
なおアドレスは半角で入力してください。
(例)
○ sample@stopover.org
× sample@stopover.org
確認のためこのアドレス宛に、このフォームで入力された内容のコピーが届きます。また原則的にはこのアドレスがメーリングリストの配信先となります。もし配信先として使用したくない場合は、その理由をコメント欄に記入してください。

Hotmailやgoo, yahooなどの無料アドレスでの参加申込は基本的に受け付けませんが、何らかの事情で、無料アドレスしか使えないという方はその旨をコメント欄に入力して下さい。

■ コメント:
何かコメントがあれば記入してください。一行ごとに行末でEnterキーを打って改行してください。

■ 自己紹介:
この自己紹介は運営係だけに送信され、他のメーリングリスト参加者には送信されませんので、できるだけ具体的かつ詳細に記入してください。

なお登録作業終了時に、メーリングリストメンバー向けに改めて自己紹介していただきます。運営係宛に書かれたものをそのまま利用されてもかまいませんし、部分的に改変したり、新たに書き直すこともできます。

自己紹介には以下の項目が必須となっております。ただし以下の項目だけを箇条書きで書くのではなく、自己紹介の中に織り込む形で入力して下さい。

* エホバの証人になったきっかけ(どこに魅力を感じたかなど)
* エホバの証人のどこに疲れたか
* パソコン使用歴(メールソフトの設定変更等が自力で出来るか否か)

*ご記入に当たっては、一行ごとに行末でEnterキーを打って改行してください(改行せずに送信しますと、途中で文字化けして読めなくなります)。

* 送信ボタンを押す前に、自己紹介文のコピーを取っておくことをお勧めします。送信時に何らかのトラブルが発生すると、せっかく入力した内容が失われてしまうことがあるからです。
* プロキシサーバ経由では送信できません。
* 「コメント」欄以外が空欄だと送信できません。
* メールアドレスが全角で入力されていると送信できません。
* 送信後、メールの控えが届かない場合はアドレス間違いなどが考えられます。再度お送りいただくか、登録係にお問い合わせください。

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参加資格とルール(参加を希望する方々へ)

参加資格とルール(参加を希望する方々へ)

メーリングリストに参加を希望する方は、このページを最後まで読んでから参加申込を行ってください。
目次
参加資格
メーリングリストとは
メールアドレス
メールソフト
登録までの流れ
ルール(抄)
参加申込フォーム
参加資格

エホバの証人であるがゆえに、あるいはあったがゆえに疲れ、悩みを持っておられる方にご参加いただいています。なお当メーリングリストの趣旨と異なるため、自分はエホバの証人だった経験はないが、家族や知人がエホバの証人になってしまい困っている、という方の参加はご遠慮いただいています。

実際はケースバイケースで判断させていただきますが、基本的なガイドラインは以下の通りです。
こんな方は… 歓迎します 申し訳ありませんが、お断りしています
現役証人 ・エホバの証人の現役で疲れ、悩んでいる方 ・組織に忠実でありたい現役の方
元証人 ・元エホバの証人で疲れ、悩んでいる方
・ある程度過去を克服されたが、交流を楽しみたい方  
ご家族・友人   ・ご自身は入信した経験がない方
未体験者 ・エホバの証人を辞めた/辞めようとする方々が持つ問題に対して有用な情報を流していただけるサポーターとして
2007/6/10をもってサポーター制度を廃止しました ・特定の思想信条を宣伝しようとされる方

【注意】メーリングリストでは本名を使わないことをお勧めします。どなたであれ、エホバの証人を辞めている/辞めたいと思っているかどうかは自己申告です。実際にはどんな人か完全にチェックすることはできません。

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メーリングリストとは

メーリングリストとは、同時に複数の人にメールを送信する仕組みのことです。あなたが投稿したメールは参加者全員に届き、他の参加者が投稿したメールもすべてあなたに届きます。

1) 今までメーリングリストに参加されたことのない方は、必ず「メーリングリストビギナーズコラム」をお読みください。一般的なルールやマナーが詳しく書かれています。

2) できれば毎日、少なくとも週に一度はメールを受信できるようにして下さい。

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メールアドレス

会員制MLとして、セキュリティの観点から以下のようにお願いしています。
  使えません 使えます
申込時 ・フリーメール(Hotmail, gooなど)
・転送サービス
・携帯電話アドレス ・プロバイダ(本アドレスに限ります)発行のアドレス
・会社や学校、ご自身で運営しておられるドメインのアドレス
配信時 ・原則的には同上 ・原則的には同上
※MLでは送信者のアドレスが全員に見えます。それでは困るという事情のある方は、入会申込フォームのコメント欄に明記して下さい。こちらでご用意する専用アドレス(ハンドルネーム@stopover.org)か、フリーメールアドレスを使っていただきます。

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メールソフトについて

特に制限は設けていませんが、以下の機能をもつソフトをお勧めしています。

1. 仕事やプライベートでのメールは本名、メーリングリストではハンドルネーム、という使い分けができる。
2. 受信したメールをタイトルやメールアドレスごとに振り分けることができる。

パソコンに最初から入っているOutlook Expressや、当ML推奨のEdmaxはこの二つの条件を満たしています。
必ず以下の設定をして下さい

どなたも参加申込をする前に必ず下記の設定変更をしておいてください。Outlook Expressを例にご説明します。
送信者名の変更 通常の設定だと、送信メールに本名が出てしまいます。ハンドルネームが表示されるように変更して下さい。
| 変更方法 |
テキスト形式での送信 通常の設定だと、メールがHTML形式で送信されます。HTML形式は文字サイズや色を変更できますが、対応していないメールソフトもたくさんありますので、テキスト形式に変更して下さい。
| 変更方法 |
一行あたりの文字数 当メーリングリストでは、一行あたりの文字数を半角70文字に設定していただいています。
| 変更方法 |
※Windows XP SP2でOutlook Expressをお使いの場合、上記設定ができない問題が発生しています。
初心者を自認される方へ

パソコン、インターネット、メールソフトに関して分からないことがあった場合、まずご自身でマニュアルや雑誌、Yahoo!などの検索サイト、ご利用プロバイダのサイトなどを調べて下さい。大抵これで解決方法が見つかるはずです。それでも分からない場合のみ、運営係にお尋ね下さい。可能な限り回答致します。

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登録までの流れ

参加申込された後、即ちに登録される訳ではありません。いたずらや、誤って本名で送信されることを防ぐため、次のような手順で登録作業が進みます。通常数日から一週間程度みて下さい。
ステップ 作業する人 作業内容 目的
1 申込者
参加申込フォームに必要事項を記入し、お送り下さい。
→この内容は運営係・サポーターだけ(reg@stopover.org)に送信されます。 参加の意思表示
2 登録担当
申込受付と設定事項をご連絡します。 意思確認
3 申込者
メールソフトの設定を済ませ、登録担当宛 (reg@stopover.org)に返信して下さい。 本名使用防止
4 登録担当
設定に問題がないか、最終チェックします。 設定確認
5 申込者
メーリングリスト参加者向けに自己紹介を用意し、登録担当宛 (reg@stopover.org)にお送り下さい。
→この内容はメーリングリストに参加しておられる方すべてに配信されます。挨拶を兼ねた簡潔な内容に調整していただいて構いません。 参加者への自己紹介
6 登録担当
メーリングリストに登録すると同時に、5の自己紹介をメーリングリストに送信します。 登録とMLでの通知

登録作業の途中で気が変わり、参加を取りやめたくなった場合は、必ずご一報ください。たとえ当方から参加をお断りする場合でも、必ずその旨ご連絡いたします。

 参加申込メールあるいはこちらからのメールがサーバの問題などで消えてしまう場合があります。運営係からのお返事が迷惑メールフォルダに入っている場合もあるようです。もし申込後一週間以上たっても何の連絡もない場合、お手数ですが再度申込を行って下さい。

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ルール(抄)

最後に、当メーリングリストのルールをご紹介します。
 1  会員制 当メーリングリストは会員制のクローズドな交流の場です。これは、現役証人の方や、個人的で立ち入った内容の書きこみをする方を保護するためです。したがって、メーリングリスト内で知り得た個人情報を、ご本人の了解なしに外部に洩らさないでください。同様に、メンバー間でプライベートに交換したメールで知り得た個人的な情報を、メーリングリスト内で不用意に流さないよう発言に気をつけてください。本名、在籍していた学校名や、会衆名などの個人情報は、本人がメーリングリスト上で話し出さない限り、話題に上げないようお願いします。
 2  自助 当メーリングリストは自助グループです。基本的に、当人が自らの課題に気づき、努力していく歩みを応援する場です。何かしてあげたいと思われた場合、必ずご本人に意向を確認してください。
 3  多様性 当メーリングリストは多様性を奨励しています。ドメイン名の「Stopover(途中下車)」は、行く先が異なる旅人たちの出逢いの場、という意味です。これは、一つの価値観と規則を強制して個人差を無視してきた証人組織に対する反省に立ち、各人がそれぞれのペースで自由な探求を行うことを認め合おうという願いが込められています。自由かつ率直に自分の意見を表明できるようになること。同時に自分と異なる意見を尊重し、学び合うこと。この二つを心がけることは良いリハビリになるのではないかと考えています。
 4  ROM禁止 このメーリングリストでは、ROM(Read Only Member=発言しないメンバー)での参加はお断りしております。既に参加して発言している方が自身に関する一定の情報を開示している以上、彼らには自分のメールを誰が読んでいるのかを知る権利があるからです。一定期間投稿のないメンバーには、年に数回、運営係から確認のメールを送ります。
 5  宣伝禁止 当メーリングリストにおける政治・宗教・商業上の宣伝・勧誘は一切禁じます。

運営上問題が生じない限りこれ以上の規則を設けず、「紳士であれ!」 の精神を基本としていきたいと思います。

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すべてお読みいただけましたか?

このページの内容をご理解いただいた方は、以下の参加申込フォームにお進みください。



| 参加申込フォーム |

1. 紹介の言葉
2. エホバの証人になった人々が抱える問題例
3. メーリングリストで話されてきたこと
4. STOPOVERこれまでの歩み
5. エホバの証人の方々への警告
6. メーリングリストシステムおよび運営係
7. 参加資格とルール(参加申込はこちらから)
8. 当MLによく寄せられる質問と回答

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参加資格とルール(参加を希望する方々へ)

参加資格とルール(参加を希望する方々へ)

メーリングリストに参加を希望する方は、このページを最後まで読んでから参加申込を行ってください。
目次
参加資格
メーリングリストとは
メールアドレス
メールソフト
登録までの流れ
ルール(抄)
参加申込フォーム
参加資格

エホバの証人であるがゆえに、あるいはあったがゆえに疲れ、悩みを持っておられる方にご参加いただいています。なお当メーリングリストの趣旨と異なるため、自分はエホバの証人だった経験はないが、家族や知人がエホバの証人になってしまい困っている、という方の参加はご遠慮いただいています。

実際はケースバイケースで判断させていただきますが、基本的なガイドラインは以下の通りです。
こんな方は… 歓迎します 申し訳ありませんが、お断りしています
現役証人 ・エホバの証人の現役で疲れ、悩んでいる方 ・組織に忠実でありたい現役の方
元証人 ・元エホバの証人で疲れ、悩んでいる方
・ある程度過去を克服されたが、交流を楽しみたい方  
ご家族・友人   ・ご自身は入信した経験がない方
未体験者 ・エホバの証人を辞めた/辞めようとする方々が持つ問題に対して有用な情報を流していただけるサポーターとして
2007/6/10をもってサポーター制度を廃止しました ・特定の思想信条を宣伝しようとされる方

【注意】メーリングリストでは本名を使わないことをお勧めします。どなたであれ、エホバの証人を辞めている/辞めたいと思っているかどうかは自己申告です。実際にはどんな人か完全にチェックすることはできません。

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メーリングリストとは

メーリングリストとは、同時に複数の人にメールを送信する仕組みのことです。あなたが投稿したメールは参加者全員に届き、他の参加者が投稿したメールもすべてあなたに届きます。

1) 今までメーリングリストに参加されたことのない方は、必ず「メーリングリストビギナーズコラム」をお読みください。一般的なルールやマナーが詳しく書かれています。

2) できれば毎日、少なくとも週に一度はメールを受信できるようにして下さい。

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メールアドレス

会員制MLとして、セキュリティの観点から以下のようにお願いしています。
  使えません 使えます
申込時 ・フリーメール(Hotmail, gooなど)
・転送サービス
・携帯電話アドレス ・プロバイダ(本アドレスに限ります)発行のアドレス
・会社や学校、ご自身で運営しておられるドメインのアドレス
配信時 ・原則的には同上 ・原則的には同上
※MLでは送信者のアドレスが全員に見えます。それでは困るという事情のある方は、入会申込フォームのコメント欄に明記して下さい。こちらでご用意する専用アドレス(ハンドルネーム@stopover.org)か、フリーメールアドレスを使っていただきます。

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メールソフトについて

特に制限は設けていませんが、以下の機能をもつソフトをお勧めしています。

1. 仕事やプライベートでのメールは本名、メーリングリストではハンドルネーム、という使い分けができる。
2. 受信したメールをタイトルやメールアドレスごとに振り分けることができる。

パソコンに最初から入っているOutlook Expressや、当ML推奨のEdmaxはこの二つの条件を満たしています。
必ず以下の設定をして下さい

どなたも参加申込をする前に必ず下記の設定変更をしておいてください。Outlook Expressを例にご説明します。
送信者名の変更 通常の設定だと、送信メールに本名が出てしまいます。ハンドルネームが表示されるように変更して下さい。
| 変更方法 |
テキスト形式での送信 通常の設定だと、メールがHTML形式で送信されます。HTML形式は文字サイズや色を変更できますが、対応していないメールソフトもたくさんありますので、テキスト形式に変更して下さい。
| 変更方法 |
一行あたりの文字数 当メーリングリストでは、一行あたりの文字数を半角70文字に設定していただいています。
| 変更方法 |
※Windows XP SP2でOutlook Expressをお使いの場合、上記設定ができない問題が発生しています。
初心者を自認される方へ

パソコン、インターネット、メールソフトに関して分からないことがあった場合、まずご自身でマニュアルや雑誌、Yahoo!などの検索サイト、ご利用プロバイダのサイトなどを調べて下さい。大抵これで解決方法が見つかるはずです。それでも分からない場合のみ、運営係にお尋ね下さい。可能な限り回答致します。

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登録までの流れ

参加申込された後、即ちに登録される訳ではありません。いたずらや、誤って本名で送信されることを防ぐため、次のような手順で登録作業が進みます。通常数日から一週間程度みて下さい。
ステップ 作業する人 作業内容 目的
1 申込者
参加申込フォームに必要事項を記入し、お送り下さい。
→この内容は運営係・サポーターだけ(reg@stopover.org)に送信されます。 参加の意思表示
2 登録担当
申込受付と設定事項をご連絡します。 意思確認
3 申込者
メールソフトの設定を済ませ、登録担当宛 (reg@stopover.org)に返信して下さい。 本名使用防止
4 登録担当
設定に問題がないか、最終チェックします。 設定確認
5 申込者
メーリングリスト参加者向けに自己紹介を用意し、登録担当宛 (reg@stopover.org)にお送り下さい。
→この内容はメーリングリストに参加しておられる方すべてに配信されます。挨拶を兼ねた簡潔な内容に調整していただいて構いません。 参加者への自己紹介
6 登録担当
メーリングリストに登録すると同時に、5の自己紹介をメーリングリストに送信します。 登録とMLでの通知

登録作業の途中で気が変わり、参加を取りやめたくなった場合は、必ずご一報ください。たとえ当方から参加をお断りする場合でも、必ずその旨ご連絡いたします。

 参加申込メールあるいはこちらからのメールがサーバの問題などで消えてしまう場合があります。運営係からのお返事が迷惑メールフォルダに入っている場合もあるようです。もし申込後一週間以上たっても何の連絡もない場合、お手数ですが再度申込を行って下さい。

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ルール(抄)

最後に、当メーリングリストのルールをご紹介します。
 1  会員制 当メーリングリストは会員制のクローズドな交流の場です。これは、現役証人の方や、個人的で立ち入った内容の書きこみをする方を保護するためです。したがって、メーリングリスト内で知り得た個人情報を、ご本人の了解なしに外部に洩らさないでください。同様に、メンバー間でプライベートに交換したメールで知り得た個人的な情報を、メーリングリスト内で不用意に流さないよう発言に気をつけてください。本名、在籍していた学校名や、会衆名などの個人情報は、本人がメーリングリスト上で話し出さない限り、話題に上げないようお願いします。
 2  自助 当メーリングリストは自助グループです。基本的に、当人が自らの課題に気づき、努力していく歩みを応援する場です。何かしてあげたいと思われた場合、必ずご本人に意向を確認してください。
 3  多様性 当メーリングリストは多様性を奨励しています。ドメイン名の「Stopover(途中下車)」は、行く先が異なる旅人たちの出逢いの場、という意味です。これは、一つの価値観と規則を強制して個人差を無視してきた証人組織に対する反省に立ち、各人がそれぞれのペースで自由な探求を行うことを認め合おうという願いが込められています。自由かつ率直に自分の意見を表明できるようになること。同時に自分と異なる意見を尊重し、学び合うこと。この二つを心がけることは良いリハビリになるのではないかと考えています。
 4  ROM禁止 このメーリングリストでは、ROM(Read Only Member=発言しないメンバー)での参加はお断りしております。既に参加して発言している方が自身に関する一定の情報を開示している以上、彼らには自分のメールを誰が読んでいるのかを知る権利があるからです。一定期間投稿のないメンバーには、年に数回、運営係から確認のメールを送ります。
 5  宣伝禁止 当メーリングリストにおける政治・宗教・商業上の宣伝・勧誘は一切禁じます。

運営上問題が生じない限りこれ以上の規則を設けず、「紳士であれ!」 の精神を基本としていきたいと思います。

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このページの内容をご理解いただいた方は、以下の参加申込フォームにお進みください。



| 参加申込フォーム |

1. 紹介の言葉
2. エホバの証人になった人々が抱える問題例
3. メーリングリストで話されてきたこと
4. STOPOVERこれまでの歩み
5. エホバの証人の方々への警告
6. メーリングリストシステムおよび運営係
7. 参加資格とルール(参加申込はこちらから)
8. 当MLによく寄せられる質問と回答

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メーリングリスト・システムおよび運営係 部屋の構成

メーリングリスト・システムおよび運営係
部屋の構成

STOPOVERメーリングリストに入会すると、3つのメーリングリストに登録されます。それらを私たちは「部屋」と呼んでいます(2005年10月、従来の6つを再編成しました)。タイトルはそれぞれ【略称】、テーマ、(アドレス)を表します。
【喫茶】お茶にしましょう (cafe)
 ・従来の喫茶・案内部屋を合併させました
 ・気楽でなごやかな交流を楽しみましょう。
 ・メンバーページの自己紹介システムと連動しています。
 ・新規参加者の歓迎、オフ会の募集・連絡はこちらでどうぞ。
【意見】あなたはどう思う?(forum)
 ・従来の組織・信仰・回復部屋を合併させました。
 ・組織の動向、宗教全般、社会復帰にまつわる話題など、真摯で建設的な意見交換が歓迎されます。
 ・運営に関してご提言があれば、こちらでどうぞ。
【吐露】重荷を下ろしたい(grief)
 ・従来の吐露部屋をそのまま引き継ぎました。
 ・傷ついた心を打ち明け、気兼ねなく泣ける部屋。受容と慰めを心がけましょう。
 ・メンバーページ内に匿名投稿システムもご用意しています。
スタッフ

現在、4名が運営にあたっています。ハンドルネームをクリックすると、運営係の横顔をご覧いただけます。(下線のあるもののみ)
《運営係》

それぞれ、以下のような役割分担で運営しています。◎は各業務の責任者、○は補佐を示します。
ハンドル ML登録 Web管理 ルール運用
しえん ◎ ○ ◎
~tilde (ティルダ)   ◎ ○
すみれ ○ ○  
問合せ先

それぞれの内容に応じ、以下の宛先にお問合わせいただけますと助かります(※注1)。
内容 アドレス 受信者 返信担当
運営に関するご質問ご要望 (※注2) 運営係 運営係
【登録前】
参加申込み (※注3) 参加資格とルールのページからお入りください 運営係 登録係
【登録後】
メールアドレスの変更
メンバーページID・パスワードの申請 運営係 登録係

(※注1) スパム対策上、アドレスを画像表示にさせていただきました。お手数ですが、手入力してください。

(※注2) 運営に関するご意見を運営係個人宛に出すのは、どうかご遠慮ください。守秘の観点から、その運営係が他の運営係に相談する道を閉ざしてしまい、一人で負担を抱えたり、貴重なご意見を運営に反映できなくなるという状況が起こりえます。ご理解の程、お願いいたします。

(※注3) お申込み前に必ず「参加資格とルール」をご覧ください。

メーリングリスト運営に関して改善すべきと感じられるものがあれば、忌憚のないご意見・ご提言をお寄せ下さい。

エホバの証人の方々への警告

エホバの証人の方々への警告

組織に忠実でありたいとお考えのエホバの証人の方は、必ずここをお読みください。

ものみの塔組織に忠実な方は、当メーリングリストに入会することはできません。背教者と交渉を持つことになり、霊的に有害です。立場を偽って登録を試みたりしないでください。全ての方に登録後、自己紹介をお願いしています。運営係を欺くことは簡単ですが、メーリングリスト内で嘘をつき続けなくてはならなくなります。またエホバの証人をやめようとする人、やめた人を支援する目的で開設されたメーリングリストであり、組織の正しさを議論する場所ではありませんので、趣旨に反する話題が出た場合には、予告なく登録を抹消いたします。そのような議論は少しもできません。霊性を保ちたいと思うエホバの証人の方は、決して入会申請されないよう重ねてお願いします。

エホバの証人の方で、このメーリングリストをのぞいてみたいとの欲求に駆られる方は、まず、1985年「忠誠を保つ人々」地域大会において行われた、最も重要な話をほとんど採録した

『ものみの塔』1986年3月15日号

* 第一研究記事 「すぐに動揺して理性を失ってはなりません」
* 第二研究記事 「悪魔にすきを与えてはなりません」

を十分に復習した後、次のように自問して下さい。

「エホバは、私がうそをついて背教者の語ることに耳を傾けるよう、望んでおられるだろうか、それは正直なことだろうか、組織の提案に調和しているだろうか」

また、このメーリングリストの中身をのぞくことが、エホバの証人がしばしば用いる「神権的戦略」に当たらないということも指摘いたします。あなたは「このメーリングリストをのぞかなければ命が危ない」という状況に置かれているわけではありません。事態はむしろ逆なのです。あなたがすべきことは神権的戦略を語ってメーリングリストをのぞき見ることではなく、それをポルノ文書のように避けることです。このメーリングリストは、あなたの霊性を脅かし、忠誠を破らせる可能性があるのです。

さらにこれまで、調査を目的としてベテルの「霊的に強い人」が他のキリスト教の文献にあたることがあったかもしれませんが、私たちはそのような調査のために情報を提供する意図はありません。

興味深いことに、前述の1985「忠誠を保つ人々」大会に備えさせるために準備された『王国宣教』1985年6月号折り込みの3ページには、当該講演を意識し、次のように記されています。

1985「忠誠を保つ人々」大会は、堅く立つためにわたしたちがしなければならない事柄について役立つ情報を備えるでしょう。忠誠は、事態が順調な時だけでなく、いつどんな時でもエホバの義の律法と原則に対して妥協することのない忠誠を要求します。

そうです。 忠誠は、「いつどんな時でも」、あなたが「しなければならない」「妥協することの」できない「要求」です。 例外はありません。組織に忠実な証人であるあなたは、エホバのご要求に従ってこのメーリングリストをのぞくことはできないのです。

この場を去り、Yahoo!のエホバの証人カテゴリに行く

STOPOVERこれまでの歩み

STOPOVERこれまでの歩み

1998.12.31
「エホバの証人やめたい人メーリングリスト」ホームページ開設
元統治体の成員レイモンド・V・フランズ氏の排斥記念日に
1999.01.11
メーリングリストSTOPOVER開設(管理人1、計7名)
1999.01.23
サポーター招待:牧師(日本基督教団)
1999.02.07
管理人増員。個人の管理から複数人による運営へ
1999.02.13
サポーター招待:翻訳家・大学非常勤講師(カトリック)
1999.04.24
サポーター招待:キリスト教系新聞社記者
1999.05.03
金沢文庫開設。『事件簿』を、著者金沢司氏の許可を得て公開
1999.05.18
サポーター招待:旧約聖書学者・大学助教授
1999.06.01
名称を変更。「STOPOVERエホバの証人に疲れた人メーリングリスト」に。
1999.06.11
サポーター招待:精神科医
1999.06.13
資料室開設。
元証人向けの英文機関誌 Free Minds Journal
英語サイト Watchers of the Watch Tower World (http://www.freeminds.org/)
英書 Captive Hearts Captive Minds
から、許可を得て翻訳、公開
1999. 7.13
WatchtowerNews.Org (http://www.watchtowernews.org/) から許可を得てニュースの翻訳、掲載
1999. 夏
『良心の危機』(レイモンド・V・フランズ著、樋口久訳)日本語訳出版協力。
サポーターを含む7名の有志による検分、校正作業及び、資料提供。
1999.11.07
サポーター招待:牧師(日本同盟基督教団)
1999.12.08
独自ドメイン(stopover.org)を取得。
メーリングリストを話題別に6種類(案内、組織、信仰、吐露、回復、喫茶)設置し、同時入会するように運営方式を変更
2000.01.26
サポーター招待:牧師(日本伝道隊系単立)
2003.07.07
名称・ロゴを変更。「STOPOVER(途中下車)メーリングリスト」に。
2005.10.31
サーバを引越し。システム面を大幅変更。MLを6つから3つ(意見・喫茶・吐露)に再編。
2006.05.14
携帯版を開設。
2007.06.10
サポーター制度を廃止(ニーズの変化とサポーター多忙を受け)。

これまでに話されてきたこと

これまでに話されてきたこと

当メーリングリストの雰囲気を知っていただくために、創設以来のメールの件名を【部屋】ごとに30通ほど抜粋して紹介します。【部屋】についての詳しい説明はメーリングリスト・システムおよび運営係をご覧ください。

メンバーの方は、メーリングリスト・メンバー専用ページ(入り口はトップページ)から過去ログを読むことができます。一部屋につき1000件程度まで保存しています。

※2005年7月をもって、MLの部屋割りを6つから3つに再編したため、元の投稿は過去ログから削除されている場合がありますが、参加者の方々による貴重な投稿の記録として掲載させていただいております(2005年7月追記)。
【回復】
2世問題について 【質問】脱会後の症状? 頑張るための根本について
新たなる生き甲斐 「知らない」って堂々と言えること。 友達100人できるかな
過去との対峙・超克 祝!正社員採用 あるキャリアウーマンの言葉
論理療法 親の有難さ? 常識と非常識の境界線
相田みつをさんの詩 「大好きなことを仕事にしなさい」 嬉しかった言葉
JWに残してきた友達のこと 清流であれ濁流であれ 公務員試験情報
専門家を目指そう?! 子供に読ませたい本は何ですか 世間への適応
【企画】「一年の歩み & 今年の抱負」 建築士ネタ 2世の息子のこと
仕事さがし(近況) おすすめ映画(ビデオ) 元JWー脱サラへの道
『カルトの子』について はじめて教会にいってきたとき 大学の聴講してきました。
【信仰】
信じる心・信じない心 聖書の正当性・位置づけ 御仏による心の癒しとは
【聖書】詩編115:16 キリスト教会のパラダイム 福音の排他性
旧約の神のメッセージ 今行っている教会のこと 聖書の信憑性
現代人の心とカルト宗教 神を信じ、受け入れる事 日本のキリスト教の教派
神父さんはふつうの人でした 聖書の解釈方法 哲学等について
真理と逆説と 復活の希望? 目に見えるものは信じやすい
組織宗教への依存 科学と信仰 私のJW外での聖書研究
ハルマゲドンが怖くなくなった時は? 失われたアイデンティティーをどうするか。 改宗を考慮する元証人が直面する問題
カルト&マインドコントロール 宗教に白黒をつけるのは難しいですね 信仰って人間にとって何なんでしょう?
”神”について思うこと 「わたしの祈り」 「聖書の読み方!?」神学的立場
【組織】
輸血に関する見解の方向転換??? この組織はどうなるんだろう? JWの結婚と恋愛について
従順はいけにえに勝る? 被害者集会に行って思ったこと 責任回避の論理
集団催眠効果。 パリサイ人みたいな巡回監督 悪徳長老無能長老
長老への手紙(翻訳) 「大ちゃん事件」ってどんな事件ですか? 地域大会ルポ
べテル取材記者は語る 王国会館建設反対運動について フランスの反カルト法
エホ証 国連にNGO登録 青春を返せ訴訟について 日本支部の独自性
JW関連訴訟について JWアニメ作者 断絶完了!
アメリカNBC放送はエホバの証人の児童性的虐待者の問題を放映 「崇拝」の本 改訂版 草刈裁判判決-大阪高裁(結審)
組織の教育、人数の減少 信教の自由とマインドコントロール 古い光に苦しんだ人たち
物語としての宗教 私の人格は変化していない気がします。 エホバの証人の組織構造と営利企業の組織構造の類似点?
【吐露】
揺り戻しと激痛は回復の兆しでしょうか あなたの気持ち、よくわかりまっせ 父との対話
マイナス彷徨 JW後遺症 アダルトチルドレン・マザー
真実の愛、って??? 愛のかたち 勇気をください
すごく馬鹿な人間のひとりごと えほばへ 昨日の米のテロ事件
祖父の死 落ち込んでるんだ! 耐えがたい苦痛は人を暴走させる?!
訓練という言葉が嫌い 「~しなければいけない」?? 母の愛
人のつながりと絆 幸福の条件 はじめて誕生日に感慨を抱いた事について
今の心境をつれづれに ストレスを発散させる会話の仕方 あの頃の自分へ
ありのままの自分とは 失恋の話だけど、ただの失恋の話ではない話 失恋で自殺した姉妹のこと
何をしてきたんだろう 『あなたはもう私の友ではない』 妹
【喫茶】
深入りしない付き合い ニサンが14 ブッシュ語録
家族の絆 高機能自閉症 『分かりやすい表現の技術』
某教団破門歌集~歌よ、安らかに眠れよ~ マーフィーの法則 催眠療法
ジョーク集 阪神優勝 新人タクシードライバーの初日
イグ・ノーベル賞 孤独と孤立 両替だったのです
3億円当選のおりには・・・・ 旅日記 スプーン曲げのコツ、伝授します
クラッシック・カラオケ 「クリスマス」改め「年末感謝の日」 カウンセリングマインド
カスピ海ヨーグルト 1世と2世の溝 恵方巻きについて
「黄金律」と「恕」 『わたしの目には、あなたは高価で尊い』 武士道&非暴力
エホバの証人のサッカー選手 政治的中立… 母の変化?
【案内】
業務連絡が中心です。よって件名は特に掲載しません。

自分の人生を「物語る」ことの効用

エホバの証人になった人々が抱える問題例

組織を離れた人々がその後に共通に持つ一般的な問題として、次のようなものが考えられます。
1. 経済的な問題

* 社会人としての経験がない自分を誰が雇ってくれるのか。
* 自分で事業を始める可能性についてはどうか。
* 親の面倒をどうやってみていったらいいのか。
* エホバの証人の親から離れて、どうやって生活していけばよいのだろうか。

2. 感情的な問題

* 自分で、はっきり把握しきれないこの罪悪感、不安感はどこから来るのか。
* 「終わりが近い」と教え込まれてきたため、辞めた今でも厭世感にさいなまれ、将来について考えることができない。
* エホバの証人だったためにできなかったこと、あきらめざるを得なかった夢のことを思うと、悔しくてたまらない。

3. 社会との関わり方の問題

* エホバの証人として育てられたため、一般常識が身についていない(誕生日はどう祝うのか。年賀状はどう書いたらいいのか)。
* 友人を取り戻せるか、あるいはどのように新たに作っていけるか。
* 証人以外の人々と、どう接すればいいか分からない。

4. 聖書、またキリスト教に対する姿勢の問題

* キリスト教に対してどんな態度を、あるいはどの程度の距離をとるべきか。
* 改めてどこか教会(宗教)を探すべきなのか。
* 果たしてキリスト教に対し「真理」を求めて良いものなのか。

5. 進学の問題

* 年を喰ってしまったが、進学すべきだろうか、するとすればどんな選択肢があるのか。
* 現在の入試制度はどうなっているのか、どのように準備ができるか。
* 卒業後にどんなビジョンが描けるか。

6. 結婚の問題

* どのように配偶者を探せるか。
* 既にあまり若くはない自分を相手にしてくれる人がいるか。
* 特殊な環境で育てられた自分を、受け入れてくれる人がいるのか。

7. 配偶者や子供、親との関係の問題

* まだ組織にとどまっている親と、どう接したらよいか。
* 今まで、子供や夫(妻)に対して誤った対応をしてきてしまった、関係を修復できるか。

8. 老後の問題

* 年を取ってしまったが、既に世話をしてくれる人がいない。どのようにして暮らしていけるか。

少し考えただけでも、これほどの切実な問題があります。やめた方々の大半は、これらの問題を一つではなく、複数抱えて新しい生活に対処していかなければならない状況ではないかと思います。たいていは問題が複雑です。誰かが先生、あるいは回答者として扱うことができるような性質のものではないだろうと思います。このメーリングリストでは、誰かが「教え手」として「助言を与える」のではなく、お互いに経験や知恵を提供しあうことができれば幸いです。

もしご自身が持たれている問題が明確で、上の分類のどれかにきれいに当てはまるようでしたら、あらかじめ「私が聞きたいのはこのこと」と断りを入れて書き込んで下されば、他の方が返答しやすいかもしれません。しかし、流される情報に対し、過度な期待を寄せないようにしてください。
自分の人生を「物語る」ことの効用

特に聞きたいことがあるわけではなく、今までの経験を話したい、という方もおありかと思います。基本的には、いくらでも述べて下さって結構です。人は誰でも、「現在自分がどうしてこうなっているのか」ということに対して、そうならざるを得なかった理由を説明できなければ、過去を十分精算することは難しいだろうと思います。特に言語化することによって、はっきりとそのことを意識する作業は、これからの人生を建設的に立て直すために不可欠ではないかと感じます。ですから、あなたがある過去に関して、どうして別の選択肢を選ばなかったのか、あるいは選べなかったのかということを整理するためにこのメーリングリストを利用していただくことは、とりわけ大歓迎なのです。その経験を聞く人たちにとっても、それは非常に意義深いことです。むしろこのことは、何かの質問を誰かにぶつけることよりもずっと優先されることと言えます。ぜひあなたの「今まで」を物語ってください。

紹介の言葉

紹介の言葉

このメーリングリストは、証人であることに疲れ、もう組織をやめたい、またすでにやめたという方々に、人間らしい普通の人生を送っていただくことを目的とし、

1. 人的ネットワーク再構築
2. やめた後の様々な生活の情報提供

の場を確保しようとするものです。この問題を本当に知る人たちは、長い間エホバの証人の組織に交わることによって、自分の人生が決して元には戻らないことを理解しています。しかし、それでも人生をやめるわけにはいかないのだ、という現実的な立場に立ちます。

エホバの証人だったことによって生じた対処しにくい状況を脱しようと積極的に行動する人と、やめることを躊躇している人への受け皿となれれば幸いです。

このメーリングリストは宗教的な「癒し」を提供する場でも、誰かが「答え」を与えてくれる場でもありません。しかし、改めてクリスチャンになられた方、他の宗教を持たれるようになった方、もう宗教は信じないという方を含め、エホバの証人をやめた方と、これからやめようとする方を歓迎しています。

エホバの証人をやめることに伴う孤立を恐れる方がいますか?ではここで、あなたの持つ問題を理解できる普通の友人を得てください。そして安心して組織をお辞め下さい。

組織に対する疑念は各会衆のとりわけ「古い」エホバの証人たちの中で、かなり幅広く話されています。何十というエホバの証人が、かつて協会が行った数々の事例を引き合いに出し「組織は間違っている」と言うのを実際に耳にすることがあります。ほとんどが、バプテスマを受け10年以上エホバの証人を続けてきた人たちです。その中には長年開拓をされてきた姉妹たち、現役の長老、また長老経験者が少なくありませんでした。疲れながらも奉仕を続ける彼らのうちに働く、次のような心理について述べないわけにはいきません。

「この組織がおかしいことはわかる。しかしこれが誤った道であったとしても、エホバの証人として長く暮らしてきた自分にとっては、今さら組織を断絶し、今までの生活をリセットすることなどとてもできない。新しく人生をやり直すよりは今のままの方が良いのだ。もしここでやめたら、今までやってきたことは一体何だったんだ、ここでやめてしまえば、私も今まで排斥された人たちがされたように扱われるのだ。これまでしてきた全てのことが全く評価されなくなる、という程度では済まされない。サタンの世に戻っていった者としての烙印を押されたまま、弁護してくれる人もなく罵られ続ける。そんなことはできない。このまま続ける以外に道はない。結局それが今となっては一番安全な方法なのだ。目立たず、組織の端っこにぶら下がるようにしてでも続けるしかない。」

親がエホバの証人だったため、幼い頃から証人として育てられた人なら、次のような思いを抱くかもしれません。

「今までエホバの証人の世界の中でだけ生きてきた自分が、組織を出てどうやって生きていけばいいのか。自分が辞めれば、親は悲しむだろうし、特権を失うだろう。」

「エホバの証人を辞めてからしばらくたつが、何かよく分からない『生きづらさ』を感じる。厭世的な思考にとらわれ、生きる意欲が湧かない。」

しかし、次のように自問してみて下さい。

「私の残りの人生は消化試合なのだろうか?」

エホバの証人をやめるには、正面切ってやめて行くという方法だけではありません。上手に、巧みに不活発になっていきながら、関係を著しく損なわないように徐々にやめていく方法もあります。

「霊的なパラダイス」では、純粋な動機を持つ人たちが、次々に倒れてゆく姿を目にします。

* 過剰な規則を押しつけられ、精神に異常をきたした2世の子供たち
* 輸血拒否によって手術の好機を逃し、命を落とした子供たち
* 必要の大きい会衆でいじめに遭い、人格が変わって帰ってきた若者たち
* 引き裂かれたカップル、結婚を禁じられ婚期を逸する人々、相次ぐ離婚
* 権力を振りかざし巡回監督に露骨に取り入る長老、声の大きい長老の妻たち
* 内密な個人情報をしゃべってしまう長老、仲の悪い長老団
* 長年自己犠牲的に会衆に仕えながら、長老に妬まれ失意のうちにやめた人
* 神の名によってまかりとおる不公正
* 気に入らない人を会衆から追い出し、派閥を形成し互いに争いあう古い女たち
* 長年精神科に通い、薬を飲みながら奉仕を行う開拓者
* 裏表のある生活を送る者、やむことのないうわさ話

すでにエホバの証人の組織は、その実によって十分見分けられるようになっているのではないでしょうか? あなたご自身、すでにそのように判断されているのではないですか?エホバの証人の世界的な増加は今や止まろうとしています。エホバの証人の年鑑をよくご覧ください。日本においてその成長は、すでに減少に転じています。組織はこの流れを食い止めることはできないでしょう。

あなたの人生はあなた自身のものですか?

あなたが自分の頭で考え納得したことを、自由に口にできますか、あるいは行動できますか?

もしそうでないなら、それはすでにあなたの人生ではありません。

組織に交わったことに起因する問題をどれほどたくさん持っているとしても、それはあなた一人だけの問題ではありません。今日エホバの証人の間違いに気づいている人は年々確実に増えており、同じ悩みや問題を抱える人たちは増えています。それに伴い、また様々な「その後の人生」があります。

このメーリングリストから新しい情報や友を得ると同時に、是非あなたの経験を他の方々のためにお役立てください。メーリングリストに関わる多くの方々から感謝されると思います。どうぞもう一度、あなたご自身を少しだけご提供ください。

QRChordあなたは547480人目の来訪者です。ようこそお越しくださいました。



QRChordあなたは547480人目の来訪者です。ようこそお越しくださいました。   ◆最終更新:2009/02/24◆
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STOPOVERメーリングリストについて

1. 紹介の言葉
2. エホバの証人になった人々が抱える問題例
3. メーリングリストで話されてきたこと
4. STOPOVERこれまでの歩み
5. エホバの証人の方々への警告
6. メーリングリスト・システムおよび運営係
7. 参加資格とルール(参加申込はこちらから)
8. 当MLによく寄せられる質問と回答

リ ン ク

1. 国内・海外リンク集
2. このWebサイトへのリンクについて

メールソフト設定マニュアル
Outlook Express

1. 送信者名の追加
2. テキスト形式&文字数の設定
3. 振り分け設定

EdMax

Outlook Expressと異なり、Internet Explorerのセキュリティーホールの影響を受けません。

* インストールから初期設定まで

Yahoo!メール

* Yahoo! IDの取得から詳細設定まで

pc
資 料 室
金沢文庫

1. 『事件簿』(北海道広島会衆)
2. 『欠陥翻訳-新世界訳』
3. 『ものみの塔の終焉』
4. 『ものみの塔協会の誤導からエホバの証人を解放するために』

『良心の危機』

* 図書館設置キャンペーン参加のお願い (09/02/24)new

翻 訳

* NGO問題 関連ニュース

* 断絶届を書く
* 断絶届の実例

1. ママがついた嘘
2. 霊的中毒からの立ち直り
3. 「証人としての人生、そして私が辞めたわけ
4. 忌避 - 「エホバの証人の信仰の一部
5. 身体的・感情的虐待による人格障害
6. 「ものみの塔の子供たち」
7. 女性がものみの塔で失った年月を取り戻すために
8. カルトにいたことを子供にどう伝えるか
9. ランダル・ワッターズの証し
(1974~1980年 ものみの塔本部で奉仕)
10. 「自由思想の代償」
11. 排斥:ものみの塔という椅子を支える一本の脚
12. ものみの塔の歴代会長の時代別概観


メーリングリスト・メンバーページ
既にメーリングリストに参加されている方専用です。これまで話されてきたこと(過去ログ)や資料を収録しています。閲覧には「ユーザー名」と「パス ワード」が必要です。
問い合わせ:メール送信フォーム(07/02/10)new
運営全体:運営係アドレス
登録係: 登録係アドレス

確認ブラウザ:Internet Explorer 7.0 ; Mozira Firefox 2.0 ; Opera8.54 ; Sleipnir 2.30 (+Geckoエンジン) ; Netscape 7.1

ものみの塔の歴代会長の時代別概観 by Randall Watters

ものみの塔の歴代会長の時代別概観 by Randall Watters

"Watchtower Presidential Era Summaries", the following is an excerpt from the new book,Thus Saith the Governing Body of Jehovah's Witnesses by Randall Watters, Free Minds Journal. http://www.freeminds.org/history/5_eras.htm
(2002年4月22日掲載・2003年8月10日改訂・2005年7月22日追記)
●チャールズ・T・ラッセルの時代(1879-1916)
時期:1800年代後半、厳密に言えば1879年7月

当時の宗教的見解:終末思想が世にはびこり、寄せ集め教理を掲げる大きな宗教グループがいくつか発生。「神は4世紀に背教した主流派キリスト教会を退け、新たな預言者、代弁者、忠実な使者を選び、永く失われ、人の手に届かなかった聖書の真理について世界を再教育する」と主張する。永遠の命を得るためにはこの使者の説く新たな福音に耳を傾けよ、と。この世紀は、末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン)、再臨派およびその多くの分派(エホバの証人を含む)、クリスチャン・サイエンス、キリストアデルフィアン、その他小規模なグループが誕生し、それぞれ自分こそが現代の預言者であり、新たな、または忘れられた啓示を持つと主張し、新たな思想を求めつつも教会に幻滅した人々に訴えた。

シナリオ:神学を歴史発展的見地から理解できない若者が、自分はキリストの体に与えられた「第7の使者」(啓示3:14)であると思い始め、(キリストの時代以後、彼の前の世代がすべてそう思ってきたように)人の世の「終わりの日」に生きていると信じるようになる。キリストの「目に見えない」帰還(アドベンティスト)、エジプトの大ピラミッドや他のオカルト的象徴の予言的性質(フリーメーソン、占星術、数霊術など)、「異邦人の時」説の亜種(ジョージ・ストアズ他)など、当時の神学思想から多くを借用しつつ、聖書の伝統的解釈、たとえば三位一体、責め苦の場所としての地獄、肉体を離れた魂の存在などを否定する。自分の考えが受け入れられる宗教がないのを知ると、自ら一派を起こす。発言手段としてものみの塔とキリストの臨在の告知者が1879年7月に発刊される。

風変わりな信条:終わりの時は1799年に始まり、キリストは目に見えない形で1874年に帰還し、40年にわたる収穫の時は1914年に終了し、人間による支配は転覆(ハルマゲドン)して神の支配にとって替わられる。その他、知性、黒人、奇跡の小麦、数霊術、人の脳の大きさに関する風変わりな言説。おそらく彼特有の年代予告以外は当時さほど珍しい考えではなかったのだろう。

今ならラッセルが排斥されるであろう理由:反組織的な教え、誕生日を祝うこと、クリスマスと祝日の習慣、兵役参加の許容、食物から血を抜かないこと、自分を「忠実で思慮深い奴隷」と見なしたこと、「奇跡の小麦」を売ったこと、オカルトをかじったこと、著書にサインしたこと。
●ジョセフ・F・ラザフォード(「判事」)の時代(1916-1942)
時期:1916年、C・T・ラッセルの死後

進展した宗教的見解:ラッセルは依然「第7の使者」だが、あまりそのことに囚われないようにしよう。彼の写真を下ろし、年代予告を調べ直し、派手な服を着て、酒をがぶ飲みし、罰当たりな偶像破壊主義者として疎まれよう。ラッセルに忠実で、我々の大げさなものの言い方を好まない聖書研究者たちとは縁を切ろう。そのためには十字架を拒み、名前をエホバの証人に変え、ピラミッドや数霊術といった「異教」の影響を排除し、諸教会を攻撃し、カトリック教会や国際連盟/連合に対する敵意あるメッセージを戸別訪問やラジオで流そう。禁酒法を敵と見なし、自国のために戦うことを拒み、ヒトラーのご機嫌を伺おう。

シナリオ:ラッセルは自分の活動をどのように続けるかについて遺言を残し、1916年に死去。ラザフォードは法律的知識を生かし、権力をかすめ取り、ものみの塔会長の地位の強奪を図り、これに成功する。「堅く立つ者たち」はラッセルへの忠誠を保ち、その他にも多くの分派が形成される。たとえば黎明聖書研究者たちは現在もラッセルとその教えに従っている(これらのグループの幾つかは現在も存在する)。ラザフォードはアイデンティティの危機を招き(彼を好んで崇拝する人はいなかったので)、ラッセル崇拝のあらゆる痕跡を根絶するべく、ゆっくりとした政治的プロセスを開始する。彼は、聖書の基本的メッセージを素朴な福音(キリストの死、埋葬、復活)から「エホバの主権」に変えることさえ行う (ラザフォード「それで、神に対してこのような訴えが持ち上がり、悪魔が、自分の方が人間が分かっていると主張し、それを周りで聞いている天使が大勢いて、神としてはそんな風に非難されるのは面目が立たないことで…もちろん、その気持ちは分かるよ…それで神は何もかも好きにさせて証明するようにしたんだ。神もなかなかやるねえ。私の状況とどことなく似ているじゃないか」 )。神が証言台に立たされるなら、ラザフォードも組織の乗っ取りについて同様の目に遭うべきだ。それこそ宇宙論争だ(訳注:universal issue=「普遍的問題」という意味と掛けたしゃれと思われます)。

風変わりな信条:現存する万民は決して死することなし (少なくとも判事の死までは)。アブラハム、イサク、ヤコブは(そうそう、モーセも)間もなく我々の大会に姿を現すだろう。ベテルに彼らを招くわけにいかないから、3000マイル離れたカリフォルニアの私の豪邸に彼らを泊めよう。誰もその家のことを不審に思わないよう、権利証書には彼らの名前を載せよう。だが、私の部屋に入る前には彼らとて自分を証明しなければならない。

今ならラザフォードが排斥されるであろう理由:著書にサインしたこと、ベテルでのビアパーティ、視界にいるすべての人を怒らせたこと。
●ネイサン・H・ノアの時代(1942-1977)
時期:1942年、「判事」の死後

進展した宗教的見解:証人やその追随者に対する輸血禁止。十字架、宗教的宝飾類、世の親族からの贈り物はすべてサタン的。事実上、教会を見る だけでも排斥される。喫煙は1973年に禁止されるが、長老はアルコール依存でもOK。フレッド・フランズがベテルの常駐監督 になり、ベテルの蒸し風呂のような部屋にいる兄弟たちを聖書の話題で虜にし、その途方もない講話に耳を傾ける人すべてを魅了した。フランズは1975年フィーバーの責任の大半を負っており、当時は1975年に終わりが来ることを信じない 人は事実上排斥となった。

シナリオ:魅力的でカリスマ的な指導者たちは消え去り 、アンドロイドのような会長が登場 。ノアは人間としてまったく味気なかった が、投票により選出され、魅力の欠如を組織 拡大にビジネス手腕を発揮することによって穴埋めする。新世社会:「神の組織」の誕生。ギレアデ聖書学校は世界中に卒業生を送る。ノアは彼らに片道切符しか与えず、帰国を願う何人かはうつ病や自殺に至る。ベテル(ものみの塔本部)は徐々にブルックリン・ハイツ一帯を覆い始め、付近住民の怒りを招く。ものみの塔は巨大ビジネスとなり、資産は何十億ドルにも及ぶ。出版物の利潤差額は500%にも達するが、「印刷の実費のみ」ということにされる。

この時代はものみの塔内部での「発見」の時期で、自由に考える精神により、内部の多くの者は自分たちの教えの土台を再調査するようになった。この時期は1979-1980年のフランズ事件で「終わった」が、このとき統治体は押し入れの中で過去をほじくる人間を葬るには、押し入れごと吹き飛ばすしか手がなかった。排斥される恐怖に駆られれば、誰もものみの塔の年代計算の土台が怪しいことを口にしないだろうし、したがってそれに気づくこともないだろう、少なくとも彼らはそう思った。

風変わりな信条:ソドムの住民は復活する→しない→する→しない。初期クリスチャンは交代制の統治体を有していた(奇妙な考えである)。血液は一種の「臓器」であるから、臓器移植もだめ。レイプされた場合、被害者は大声で叫んだときのみ許される。夫が同性愛者の場合、離婚することができない→できる(彼が実際に何をするかによる)。オーラルセックスは少なくとも当分の間、排斥される理由になるが、実のところ我々はあまり知りたいと思わない(いや、知りたいのだが、知りたくないふりをしている)。

今ならノアが排斥されるであろう理由:なし。たぶん今でも務まるだろう。
●フレデリック(フレディ)・W・フランズの時代(1977-1992)
時期:1977年、相棒のノアはガンのため死去。フランズは「後世」のためとして意図的に実権を執らない。

進展した宗教的見解:「疑い」は事実上、反キリストである。ロボトミー(訳注:脳の前頭葉切除による分裂病治療。おとなしい人間にする比喩的な意味でしょう)の導入。忠節とスパイ行為は、あなたをしがない伝道者、悪い評判の持ち主から最も優遇される 地位へ格上げする。証人は他の信者の違反を報告しなければならない。たとえひそかな堕胎の記録を病院から盗んで、職を失ったり訴えられることになろうとも…。たえず変わる教理に思い悩んでいるって?趣味を持ち、背教のことは頭から締め出しなさい。1975年はあなたたちの 責任であって、我々の責任ではない。決してそんなことは言っていないのだから!(特定の日付については)。

シナリオ:統治体に忍び込んだ同性愛者は立ち去るにまかせ、排斥にはならなかった。レイ・フランズは統治体の集合的不謬性を否定して、自分と他の統治体成員に恥辱をもたらし、解任され、排斥が仕組まれる。ものみの塔のスパイが南部まで彼をつけ回し、何も証拠を押さえることができないと、元証人の上司と食事をしていたという理由 で排斥する。レイ・フランズは自己弁護的な良心の危機 を1983年に書き、キリスト教会員は彼が三位一体を受け入れるときを息をひそめて待っているが、彼は決してそうしない。

ジミー・スワガート教団とカリフォルニア州 が(宗教法人の売り上げに対する課税を巡って)法廷で争ったとき、統治体は自分たちも売上税を納めていないので破産を恐れたため、神は出版物を無償で提供することを望まれた(少し間を置いて寄付を求めるセールストークはあるが)。だが、神がこれを行われるのは一部の国 に限られる。神はそこでの売上税納付を望まれないからだ。

統治体でさえフレッド・フランズに嫌気が差し、彼を追放するが、実際何をしていたかは統治体しかしらない。追放者として死去。

風変わりな信条:フレディが教えたことすべて。

今ならフランズが排斥されるであろう理由:いつも手元から離さない秘密の自己啓発テープを聴いていたこと。それ以外には、あまりに抜け目ないので排斥はされない。そもそも、排斥を考案 したのは彼なのだから。
●ミルトン・G・ヘンシェルの時代(1993-2000)
時期:1992年、フレッド・フランズの死去に伴い、副会長から昇格。

進展した宗教的見解:もはや1人の人物に率いられることのない統治体は、特定の事柄、主として外部社会との関係や法律的問題について、より保守的な姿勢を示し始める。大学教育、学校でのスポーツ、個人的趣味の分野で「普通」に見えるようにすべしという法的圧力が増大し、記事や出版物の書き方にも影響が表れる。祝日は以前ほど叩かれなくなり、精神科受診も許され、大学教育も叩かれなくなり、学校のスポーツは「子供がのめりこまない限り」参加は事実上OKとなる。とはいえ、疑いを抱くことは依然として反キリスト である。

シナリオ:お金、不動産、信者数がこれまでの最大規模に達するが、同時にこれが最後のピークである兆しも見え始める。他の似たようなセクトのパターンからすれば、サイクルの頂点から先はローラーコースター。過去2、3年、米国での成長率は1-2%に落ち込むが、東欧、アジアなど、彼らの歴史や戦術にうぶな国では急成長を遂げている。1995年10月15日号と11月1日号のものみの塔 でついに彼らの主要な手札である「1914年の世代」の教理が捨てられる。サイモン(訳注:子供たちがサイモン役の命令に従う遊び)は「何でもないさ 」と言うが、古参の証人はそれには引っ掛からない。多数が離脱する(松葉づえをついて!)。何十もの分派グループが1996年以降結成される。

風変わりな信条:これだけのことがあろうと、彼らが本当に「神の組織」だという こと。

今ならミルトンが排斥されるであろう理由:まもなく訪れるであろうベテルでの意見の不一致。原因は指導者への敬意が薄れたため。
■排他的セクトのたどる典型的なパターン■

第1段階:カリスマ的指導者が主流派の宗教に幻滅した人々の支持を得る。追随者たちは宗教的情熱と排他主義を麻薬のように吸い込み、誇りと(人生で初めて)生きる意味を得て、怖いもの知らずになる。伝道に膨大なエネルギーが注ぎ込まれる、成長の時。

第2段階:内部スキャンダルにより指導者が替わり、組織内の一部にある程度の幻滅が生じる。ものみの塔はこの「清めの時」を何度か生き残ってきたが、この段階では染みは落ちないだろう。

第3段階:規模、信者数、銀行口座の大規模化に伴い、世間的に受け入れられ、認知されやすい権力構造を作るべく、より保守的な姿勢を打ち出す。これは過激で終末論的な集団から、人に「カルト だなんて思わなかった」と言われるような、おなじみ宗教への変容である。一致と勢力がピークに達するのはこの時期。

第4段階:末端信者の「集団意識」が、「知りすぎた」レベルに達し、指導者は統制を失う恐れから、それまで使っていた圧制的な手法と動機づけをもはや用いることができなくなる。そのため、自分たちの過去の手法に対して正直さと「率直な」精神を装う (「ふれ告げる人々」参照)。一般的に、いわば手札がすべて使い切られた状態。興奮はもはや生じない。

第5段階:統一をもたらす大義もなくなり、組織も群衆を追い立てる能力を失うため、信者は退屈して落ち着きがなくなり、内側に目を向けるようになる。一歩ごとに闘わねばならない悪魔的な敵が消え、外部の普通の人と同じようになる。もはや敬意を感じない指導者について批判的な発言をすることも恐れなくなる。意見の衝突、不和、分裂が起きるのは遠い先ではない。
更新された、ものみの塔協会 役員リスト
統治体メンバー(2004/1/22現在)

1. John Barr(ジョン・バー)
2. Carey Barber(ケアリー・バーバー)
3. Samuel Herd(サミュエル・ハード)
4. Theodore Jaracz(セオドア・ジャラズ)
5. Steven Lett(スティーブン・レット)
6. Gerrit Losch(ゲリト・レッシュ)
7. Guy Pierce(ガイ・ピアース)
8. Albert Schroeder(アルバート・シュローダー)
9. David Splane(デービット・スプレーン)
10. Daniel Sydlik(ダニエル・シドリック)

Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania (Incorporated 1884)
ペンシルベニア州の ものみの塔聖書冊子協会(1884年設立)
President(会長) Don A. Adams
Vice Presidents(副会長) Robert W. Wallen,  William F. Malenfant
Secretary/Treasurer(秘書/会計) Richard E. Abrahamson
Directors(監督) Danny L. Bland,  Philip D. Wilcox,  John N. Wischuk
Watchtower Bible and Tract Society of New York, Inc. (Incorporated 1909)
ニューヨーク法人 ものみの塔聖書冊子協会(1909年設立)
会長 Max H. Larson
副会長 George M. Couch,  Lonnie R. Schilling
秘書/会計 William H. Nonkes
監督 Harold K. Jackson,  Merton V. Campbell,  Stanley F. Weigel
Christian Congregation of Jehovah's Witnesses (Incorporated 2000)
エホバの証人のクリスチャン会衆(2000年設立)
会長 William L. Van De Wall
副会長 Charles I. Woody,  Leon Weaver, Jr.
秘書/会計 William H. Nonkes
監督 Harold K. Jackson,  Merton V. Campbell,  Stanley F. Weigel
Religious Order of Jehovah's Witnesses (Incorporated 2000)
エホバの証人の宗教秩序(2000年設立)
会長 Patrick J. LaFranca
副会長 Peter D. Molchan,  Ralph E. Walls
秘書/会計 Joseph D. Mercante
監督 Marvin G. Smalley,  Kenneth J. Pulcifer,  Eugene D. Rosam, Jr
Kingdom Support Services, Inc. (Incorporated 2000)
王国サポート・サービス(2000年設立)
会長 Harold L. Corkern
副会長 Alan D. Janzen,  Robert L. Butler
秘書/会計 Alan K. Flowers
監督 Allen E. Shuster,   David L. Walker,  Vernon C. Wisegarver
Watchtower Bible and Tract Society of New Jersey, Inc. (Incorporated 1955)
ニュージャージー州のものみの塔聖書冊子協会(1995年設立)
会長 Charles V. Molohan
副会長 James L. Bauer,  J. Richard Brown
秘書/会計 Alan K. Flowers
監督 Allen E. Shuster,  David L. Walker,  Vernon C. Wisegarver
Valley Farms Corporation (Incorporated 1987)
バレー農場コーポレーション(1987年設立)
会長 Charles J. Rice
副会長 Kent E. Fischer,  Robert L. Rains
秘書/会計 Albert L. Harrell
監督 John R. Strandberg,  Samuel D. Buck,  Louis A. Travis

排斥:ものみの塔という椅子を支える一本の脚 by Gary Busselman

排斥:ものみの塔という椅子を支える一本の脚 by Gary Busselman

"Shunning, a one Legged Stool," by Gary Busselman; Free Minds Journal. http://www.freeminds.org/buss/shunnin2.htm
(2002年4月22日掲載・2003年8月10日改訂)
ものみの塔が「普通の宗教の一つ」になるために変わらなければならないものとは何だろうか?

私の意見では、それさえ変えればほとんど一夜にしてものみの塔が「普通の宗教の一つ」になる慣行とは、排斥処置である。他の教理については、私が調べた多くのグループと大差はない。コントロールの強いグループを見分ける鍵は、それが服従を強制するかどうかである。服従の強制とは、(1) ほうび (2) 罰 (3) ほうびと罰の組み合わせ、そのいずれかを用いていることによって見分けることができる。このうちのどれかが当てはまるなら、私はそのグループが強制された服従、つまり強制による一致を用いていると見なす。

ものみの塔の近年の歴史は、服従の強制、極度の不当威圧、威嚇を過度に用いる一方で、自らが非難する体制を巧妙に操って、信者には社会的恩恵を、組織の指導者には信教の自由による法人団体としての保護を引き出すという矛盾に満ちた分離主義を実践してきたというものであった。この結果、ものみの塔は多くの場合、社会からの回避を教えながら信者を囲い込み、信者に自分の行動を心の奥底の自分や内外の批判者に対して正当化させてきた。これは物理的には人をがんじがらめにし、感情的には孤立させ、我々の多くはその状況で極めて大きな葛藤を味わってきた。

ものみの塔の教理は極めて流動的で、どうしてもそれでなくてはならないものとは思えない。20世紀だけを見ても、ものみの塔は、問題に対する見解、解釈、解決手段を大幅に変更してきた。唯一変わらずに残っている教理といえば、もし地上に彼らだけしか存在しなければ無意味なもの、つまり「信じない」という教えである。例えば、ものみの塔は地獄の火を「信じない」、三位一体を「信じない」、魂の不滅を「信じない」。これらは反対のための教理であり、自分たちと違うことを信じるグループという相手がなければ、成立し得ないものである。あるグループが神を崇拝しているのか、分離主義・孤立主義的運動であるのかを見分ける良い判断基準は、それらの教えや慣行を調べて、誰かや何かに「反対して」いなくとも自ら存在しうるものか、確かめることである。敵の存在があって一致するグループは宗教ではなく、軍隊である。憎しみには焦点が必要であるが、愛にはその必要がない。慈愛に満ち、神を崇拝するグループは対立せず、裁かず、異端者を排撃しない。それは、自分自身、友人、家族、あなたが理解する神との関係を育むのに安全な場所である。

単に排斥の慣行を良心上の問題にするだけで、ものみの塔は一夜にして主流派教理に乗り換えることができる。それ以外のものはさして重要な問題ではない。悲しむべきなのは、ものみの塔の指導者がこのことを承知していることである。

「自由思想の代償」

「自由思想の代償」

"The Price of Free Thought" Free Minds Journal. http://www.freeminds.org/kids/free.htm
(2002年4月22日掲載・2003年7月6日改訂)

親愛なるランディ:

僕はこのカルトに生まれ、エホバの証人の子供のご多分にもれず、学校でいじめられ、毎週土日は奉仕に出かけ、エホバの証人の子供とだけつきあうという少年時代を過ごした。父さんはみんなから尊敬される長老で、母さんは年に3回ほど開拓奉仕をしていて、問題を抱えた新入りの若いエホバの証人からは、まるで母親のように慕われていた。実は僕も一度開拓者になったことがあるんだ。18歳の時、僕は小さな反抗を始めた。僕には「世のガールフレンド」がいて、数カ月間誰にも知られなかった。集会にはまだ出席していたけど、いつもひどい罪悪感にさいなまれていた。組織を出て生きていくなんて僕には考えられなかったんだ。でもランディ、僕はすごくきれいでそして魅力的な、初めての彼女に夢中になっていた。ついには彼女と一夜を共にするようになった。それから集会に出席しなくなった。ただもう「エホバの組織」にいられなかったんだ。

僕は13歳でバプテスマを受けた。理由なんてなかった。ただみんながそうしているからそうしただけだ。僕は4人の親友と一緒に献身した。親からのプレッシャーもすこしはあったけど、少なくとも若いうちに献身することはできた。幸いなことに僕が犯した「重大な罪」を長老に打ち明けるようなこともなかった。もしそうしていたら僕のうちは絶対めちゃくちゃになっていただろうな。僕らの仲間7人のうち、僕だけが真理から離れたことに母さんは毎日泣いていた。父さんは長老を辞任した。すべてはただ僕が集会に出席しなくなったからだ。しばらくは家にいたたまれなかった。彼女が両親に会わせてほしいと言い出したとき(つきあって5カ月もすれば当然だろ)、僕は初めての彼女と別れなくてはならなかった。何かと口実を作ってごまかしていたけど、泣く泣く彼女とは別れることにした。だって、もし親にばれたら家を追い出されてしまうんだ。

ランディ、僕は19年間鎖に繋がれた奴隷だった。4月に僕は新しいモデム内蔵のパソコンを買って、インターネットに接続した。それから毎日のようにインターネットにアクセスして数週間が過ぎた頃、Alta Vistaで「エホバの証人」と入力してみた。そして背教者のサイトに(その時は)ぞっとした。サタンが僕の信仰をさらに弱めようとしているんだと思って、近づこうとはしなかった。その後起こることなど知らずに。

元エホバの証人とネット上で知り合ったのは6月のことだった。僕らはメールでいろんな話をした。ちょうどこのころ、エホバに僕を真理へと戻して下さるよう祈っていた。それまで教義には全く関心を持つことはなかった。だって子供には難しすぎた。だからみんなと同じように明白な真理として受け入れていた。エホバの証人に復帰しようと決心して、すべてが丸く収まるはずだった。初めて背教者のサイトを(ふとしたことから)見てしまったのはちょうどそんな時だった。僕は自分が読んでいることがただ信じられなかった。預言の誤りや歴史について全く知らなかったんだ。僕は父さんの書庫ですべてを2度確かめた(うちには古いものみの塔の出版物が山のようにあった。僕の親は46年間!もエホバの証人だったから)。全部そのとおりだった。彼らは自ら有罪を証明している。過去の出版物が彼らの最悪の敵なんだ!

僕はすべてを理解した。元エホバの証人のすべてのサイトを調べ、膨大な情報を見つけた。僕は何日も子供のように泣いた。具合が悪くなり、吐いた。「僕は何を見つけたんだ?」「真理が実は誤りであるなんてことがあるのか?」

ただ信じられなかった。それから2週間、僕はまだサタンが裏で操っているんだ、だから僕は読んでしまったんだと信じていた。ちょうど復帰しようとしていたときに読んだのは偶然だと自分に言い聞かせていた。だから、いろいろな情報を知ったのにまだ真理にいると信じていたんだ! 父さんも悪いんだ。預言の誤りについて父さんと一緒に調べたとき、1975年の件は間違いなく父さんの神経に障った。僕のことを背教者と呼び、インターネットは悪魔的だといった。しかし僕を座らせると、光は増し加わっているんだ、古代イスラエル人は40年間辛抱した、イエスは背教者について預言しておられるんだ、といった話を始めた。

いろいろと読んでいくうちに、目が覚め、洗脳が解けてきた。Yahoo!の「意見」のセクションにあるモルモン教やアドベンティスト派、キリスト再臨派、といった他の宗教のサイトを調べ、自分が20年間カルトにいたこと、そして欺かれていたのは自分だけではないことに徐々に気づいていった!

真理に戻るために彼女と本当に別れようとしていたなんて。心の底では敬虔なエホバの証人の女の子と結婚しなければ受け入れられないと思っていたせいで、僕の人生で最高の出来事である彼女との出会いを無駄にするところだった。勇気がなくて自分の知ったことをみんなに話すことはできなかった。そのころはまだ友達(熱心なエホバの証人ではなかった)とも連絡を取り合っていて、僕のうちに来たり、一緒に出かけたりもしていた。彼女の前ではエホバの証人のことを話題にすることはなかった(彼ら自身が恥ずかしいというのもあって)。ランディ、彼らとは20年間も親友だった。休日を過ごしたり、パーティーに行ったり、泊まったり、若いエホバの証人がやるようなことはすべて共に体験してきた。数カ月、毎日のようにエホバの証人のサイトを読んだ(自分は知っているけど540万人がまだ知らない情報にショックを受けていた)後、怒りがこみ上げてきた。少年時代を失い、わけもなく学校でいじめられた(ぼこぼこにされたこともある)。腹が立つに決まってるだろ。

僕は会衆の約40名の成員すべてに文書を、お願いだからそれを読み、注意深く調べてほしいと書き添えて送った(もちろん匿名で)。380ドルもかかったよ!

エホバの証人の友人もインターネットにアクセスしていたから、彼らにも自分が知ったことを伝えなければと思った。自分が関わっていたものみの塔に関する多くの真実を知ってひどく悩み、そしてうろたえたことを伝えた。また「ものみの塔の子供たち」のアドレスを伝え、どう思うか尋ねた。

信じられないことが起こった。彼らはあなたのサイトをすべて詳細に調査した。20年来の親友が僕を背教者と呼び、読んだことはおろか、このサイトにアクセスしたことさえ非難した。一人の親友は(最低の野郎だ)長老である自分の父親に話し、二人であなたのサイトを調べ、数週間前に匿名で送られてきた文書(大部分があなたのサイトから引用したもの)と比較した。

僕は審理委員会に呼び出され(記念式以外の集会には3年間も出席していなかったのに)、親に出席させられた。両親は僕のことを本当に恥じていて、僕に唾を吐きかけ、家から追い出さんばかりだった。委員会はひどかった、本当にひどいものだった。20年以上もつきあいのある長老たちが、もし僕が文書を送ったのであれば必ずハルマゲドンで滅ぼされるだろうと言った。そこにいた人すべてが僕を恥じていた。だから僕は全部を強硬に否定せざるを得なかった! しばらくして僕が外出している間に、父さんは僕のパソコンを起動し、Netscape Communicatorのブックマークを調べ、15ほどの元エホバの証人のサイトが登録されているのを見つけた。(長老たちが父さんにそうさせた。もう一度言う、あいつらがそうさせたんだ!)父さんは長老たちに報告した。僕は否定したけど、背教者として排斥されたんだ!

次の日曜日20年間つきあいのあった140人の前で僕の排斥が発表された。そこにはかわいそうに僕の両親もいた。

悪魔的な息子を育ててしまった僕の両親は会衆内でのけ者になっている。母さんはこの件で体調を崩し、ひどい胃潰瘍と狭心症(軽い心臓病)を患っている。先日の夜、母さんは病院に運び込まれた。僕が見舞いに行くと、みんな僕のせいだ、自分の息子が排斥されるなんて信じられないと言った。父さんは僕と話すことはおろか、僕を見ようともしない。以前はごくふつうの家庭だったのに! こんなとき僕がどんな気持ちになると思う? 両親は僕の結婚式にも出席しないと言っている。そんな結婚式じゃ間抜けに見えるだろうな!

会衆内では僕のことをあることないこと噂しているそうだ。友達も僕との関係を絶った。僕と絶対に話すなと言われているのは知っている。でも僕らは20年もの間共に成長してきたんだ!

ランディ、僕の手紙を読んでくれてありがとう。似たような話を読んだことがあるけど、まさか自分も同じ目に遭うとは思いもしなかった! 僕は今、主イエスを自らの救世主として受け入れた実践的なクリスチャンだけど、どこの教会にも行けず、この件で精神的にかなりまいってる。いつかは行く日が来るかもしれない。彼女の両親は英国国教会の敬虔な信者なんだ。どうして僕はカルトに生まれてしまったんだ!

この手紙を書いて少し気分が楽になった。あなたは僕の言い分を聞いてくれた最初の人だ。

ランダル・ワッターズの証し(1974~1980年 ものみの塔本部で奉仕)

ランダル・ワッターズの証し(1974~1980年 ものみの塔本部で奉仕)

"Testimony of Randall Watters" Free Minds Journal. http://www.freeminds.org/history/watters.htm
(2002年4月22日掲載・2003年7月21日改訂・2005年7月22日追記)

2年間の開拓奉仕の後、私は「神の組織」の中心であるベテルで働くことになりました。そこでの生活はさぞ素晴らしいものになるだろうと、とても楽しみでした。ベテルに入るとすぐに私は印刷機の操作を学び、『新世界訳』や『助け』の本など多くの出版物を印刷しました。1977年までに私はフロア監督とベテル長老に任命されていました。聖書の印刷機の責任者となり、オフセット印刷の訓練学校を立ち上げる手助けもしました。その後、印刷工程全体を一新するプロジェクトにも加わりました。講演者としてニューイングランド全域を定期的に旅行し、多くの友人を作り仕事を楽しんだものです。私はこれこそ本当に「神の組織」だと確信していました。「忠実な奴隷」の考えに反する考えを抱いている人を見つけると報告するほど熱心な、まさに私は「組織人間」でした。

私の見方に大きな変化が訪れたのは1979年初めのことです。3人の工場監督と一緒にマサチューセッツへの出張の道中、私たちは救いにおける信仰の重要性と、組織が個人の業を(真の信仰よりも)大きな問題と見なし、伝道時間を報告させたり、個人の活動の記録を保管していることなどを話し合いました。このころから私は聖書、特にローマ人とガラテヤ人へのパウロの手紙の研究を始め、興味はますます深まる一方でした。月曜夜のベテル家族の「ものみの塔」研究が終わった後、私は聖書研究の会に参加しました。私たちはいろんな翻訳の聖書を使い、新約聖書を一章一章調べていきました。そのグループの参加者の目には、ものみの塔が「聖書について」言っていることと、実際に「聖書を学ぶこと」の間に大きな違いがあることが明らかになりつつありました。

そのころ統治体が1914年の年代の信ぴょう性について討議した(と言うよりむしろ、その件を取り上げたがすぐに却下された)という噂が漏れたことがあります。また、一揃いの規則集に従って生きるのでなく個人の良心を育てることの大切さについて、繰り返し言及されるようになりました。組織の中で、一定の自由が許されるようになりそうな気配がしてきました。職業と私生活の分野で、証人により多くの自由を与えるように見える記事も出されました。

例えば「ものみの塔」1972年10月1日号(日本語版1973年1月15日号)の「あなたの良心とあなたの職業」の記事です。その中ではタバコ農園で働く証人には、その仕事を続けるか辞めるかは本人の良心にまかされる、とはっきり書かれていました。それから数カ月もたたずに、兄弟たちが自由を行使し過ぎているので規則を設けるべきだという苦情が、長老たちから統治体に寄せられるようになりました。1976年9月号(日本語版1976年11月号)の「王国奉仕」3ページでは、証人は決して「タバコの生産、販売、普及に携わることはできない」と述べました。統治体の成員ミルトン・ヘンシェルは、かつて別の良心上の問題に関し「もし兄弟たちにこれを許したら、どこまで行ってしまうか分からない」と言ったことがあります。ローマ7:6やガラテヤ 2:16-21, 3:10のパウロの言葉に真っ向から対立していますが、統治体は「兄弟たちを列からはみ出させないように」規則を作る必要があると見なしたのです。私はベテルの責任ある地位にいる人々が何度も繰り返し「兄弟たちに任せてはおけない」と言っているのを聞いたものです。言い換えれば、平均的な証人はエホバを愛しているだけでは問題から解放されなかったのです。証人は、自分の全生活を支配する規則、門限、制限が必要なのです。ですが監督としての私の経験は、それとは反対のことを教えてくれました。人を信頼すれば、相手は安心感を持ち、仕事を達成するためにますます働くようになるのです。不幸にしてベテルではこのような雰囲気は一般的ではありませんでした。

1979年後半までは、個人的意見も親しい友の間で話し合うことができました。「年季の入った」ベテル奉仕者の間では、大半の統治体や執筆委員会の間に教理を巡る意見の相違があることはよく知られていました。例えば「目ざめよ!」誌の前編集者であるコリン・クワッケンブッシュは、「144,000 人」(天的級)は一世紀終わりまでには選ばれていたはずだ、なぜなら歴史が示すところによれば初期教会には何百万人ものクリスチャンがいて、その多くが殉教の死を遂げたのだから、と考えていました。組織の第4代会長であるフレッド・フランズは時々、ある教理は自分の個人的意見であり他の統治体メンバーの一致した見解ではないことを断らねばならない、と言っていました。とはいえ1979年も終わるころになると、そのような相違があることをあえて認める人は誰もいなくなりました。

サンチェスが排斥され、レイ・フランズが審理に掛けられている間、次に「首を切られる」のは誰だろうという噂が飛び交ったものです。新たに統治体に入ったメンバーは、代わる代わるこれら「背教者」を非難し、古くからの成員に自分たちの忠誠を証明しました。有名な聖書の注解書(バーンの新約注解)が禁じられ、図書室から消えたこともありました。一部のベテル奉仕者が個人研究でその本を用い、ものみの塔の底の浅い学識を見破って批判したからです。自分たちの教理の土台に対する不安を明らかにしたのは、「ものみの塔」1981年8月15日号P.28 ,29(日本語版1981年12月15日号P.24, 25)でした。その中で「ものみの塔」誌を用いないで聖書を研究したいと望む人々を槍玉に挙げています。「一人であるいは小さなグループに分かれて家庭で聖書だけを読んでいれば十分だ、と彼らは言います。ところが不思議なことに、彼らはそのような『聖書朗読』を通してキリスト教世界の僧職者が著わした 100年前の聖書注釈書に教えられている背教した教理に逆戻りし…」。

重要な点はここです。証人は自分で聖書の解釈を行うことを許されておらず、ニューヨークにいる数人の人間の、常に変わる解釈に頼らなければならないのです。彼らのうち誰一人としてギリシャ語やヘブライ語の学者ではなく、聖書の翻訳を職業にしている訳でもなく、まして何百万人もの人々の人生を支配することを仕事にしている訳ではないにも関わらず、です。

キリスト教は体験的な信仰です。あなたは仲介者としてのキリストの下に来て、罪の許しを求め「新たに生まれる」(ヨハネ3:3-7)のです。キリスト教とは神が人を通して働くのであって、人が神の代わりに働くのではありません。ローマ人とガラテア人への手紙を研究した後に、私がこれを悟ったとき、キリストの内にある命への鍵は「恩寵」であることが間もなく明白になりました。これについては1981年に、主イエスキリストと新約における救いについての、私の感覚を反映した小冊子、『1980年の春、エホバの証人の世界本部で何が起きたか?』の中で書きました。そのころ私は、再び生まれ、まさにすべての信仰者に約束された、内に宿る聖霊の祝福を経験しました。私の人生を変えたと言える偉大な真理は、次のヨハネ8:34-36(New American Standard)の言葉で要約できるでしょう。

イエスは彼らに答えられた。「真実に、真実に、あなた方に言いますが、罪を犯すすべての者は罪の奴隷です。そして、息子はいつまでも家にとどまっていますが、奴隷は永久に家にとどまっているわけではありません。それゆえ、御子があなた方を解放するなら、あなた方は確かに自由にされるのです。」

私の書いた中でもお気に入りの一つ、「クリスチャン生活のルール」と題した記事は、キリスト教の救いを平易に伝えています。もし時間があるようでしたらお読みください。そしてもしそれがあなたの心に触れたなら、私にお知らせください。

敬具
 ランディー

2002/1/16更新:ほぼ50歳になるランダル・ワッターズによる

カルトにいたことを子供にどう伝えるか   by Randall Watters

カルトにいたことを子供にどう伝えるか   by Randall Watters

"How to Tell Your Children that You Have Been in a Cult," by Randall Watters; Free Minds Journal. http://www.freeminds.org/psych/tellkids.htm
(2003年7月21日改訂)

「自分が実際は何年もの間、宗教カルトにいたと気づいたとき、人はどんな気持ちになるでしょうか。ある人にとって、グループからの脱出は爽快さや興奮を感じさせますが、怒りや混乱、恥じらいという感情を抱かせることもあります。怒りは通常、カルト自体、勧誘者、こういうことが起きるのを許し人生の多くの時間を費やした、自分自身に向けられることがあります。混乱は、これから事実を知るために誰を信頼していいのか分からないという気持ちから生じます。恥じらいは、宗教的詐欺のカモにされるほど愚かだった、子供にカルトとは何かを教えなくてはならない、自分が過去何年かの間その一部であったことを告げなくてはならない、という気持ちから生まれます。ええ?ママ、知らなかったの?

この問題について話し合う手掛かりとしては、ジョージ・オーウェルの『動物農場』がいいかもしれません。近くの図書館でこれのビデオをレンタルできるでしょう。『動物農場』は大人向けの物語ですが、漫画的な動物キャラクターが農家の庭に登場し、一種の社会主義を形成します。そこでは正常な関係は破壊され、農場で高い立場に就くためにお互いに敵対します。また『裸の王様』も、実際的な常識の大切さや、人がいかに簡単にねじれた思想体系を作り出し、それに従うことを強制してしまうかを教える、良い話でしょう。

子供に伝えるカルトの定義としては、「自分たちだけが神に選ばれ、世の中に真理を伝えていて、もし自分たちの言うことに従わないなら神に滅ぼされる、と言う人たちが作った宗教団体」あたりが良いでしょう。そこから、この宗教があなたを信頼させるためにどういう話をしたか、しかも事実をすべて告げることはなかったことを話せるでしょう。それが嘘を言っていたという事実は、それだけで離れるに十分な理由です。また忘れずに「だからと言って私がエホバの証人を憎んでいるわけではない。彼らは自分たちがだまされていると知らないのだから」と話してください。トップに立つ数人の腐敗した人間だけが、嘘の責任を負っているのです。難し過ぎるように聞こえますか? サンプルの会話を見てみましょう。

ママ:ねえ、最近ちょっと困ったことに気づいて、テレサに話しておきたいんだけど。

テレサ:なに、ママ?

ママ:ほら、ママは今まで6年間エホバの証人だったでしょ。集会もすべて支持していたし、野外奉仕にも出ていたし、テレサもほとんど一緒だったわね。ママも最近まで、ものみの塔の言うことはすべて正しいと信じていたのよ。

テレサ:何かあったの?

ママ:今は手に入りにくい古い出版物を調べてみたら、ものみの塔の指導者は嘘をついていたことが分かったの。自分たちの歴史についてさえ本当のことを言ってなかったのよ。そして昔の嘘を隠すために教えを変え続けたの。ママにもこれをすべて理解するのはつらかったわ。でも、真実を言わない組織に属していても、いいかどうか分からないの。神の是認を得られないでしょ。

テレサ:それって、もう王国会館へは行かないってこと? お友達はどうなるの? もし行くのをやめたら嫌われるわ。

ママ:お友達のほとんどは、ママが見つけたことを怖くて見ることができないの。そしてこのことを話せばママのことを怒るでしょうね。でも、みんな遅かれ早かれ真実を知らなくてはならないのよ。ママはみんなのことを責めているんじゃないの。ただ組織の一番上にいるお年寄りが腐敗していて嘘をついているの。証人のお友達は誰もこういう話を聞きたくないから、たぶん私たちと話してくれなくなるかもね。でも、みんなに無視されても、私たちが話しかけていけないということはないのよ。もう、あの人たちの規則に従って生きなくてもいいの。もしみんなが本当に私たちの友達で、私たちと同じくらい愛してくれているなら、いつか話を聞いてくれるわ。

テレサ:それって、もうビリーとも遊べなくなるってこと?

ママ:テレサは誰とでも遊んでいいのよ。何人かのお友達が話しかけなくなって、テレサにつらいことになれば、ママも悲しいわ。本当にこんなことになってごめんね。もっと前にこういうことが分かっていれば良かったんだけど。そうすれば、こんなにつらい思いをせずに済んだのにね。このことで話したいと思ったら、いつでもママのところに来てね。一生懸命、力になるから。いろんなことが変わるけど、何カ月かたったら、二人とももっと幸せになるわ。二人で何かする時間も増えるわね。動物園に行ったり…。そうね、今度の土曜日なんてどう?」

お子さんがカルトを離れるあなたのジレンマを理解してくれますように。この件については、”Cult-Proofing Your Kids”(カルトに負けない子供に育てる)と”Linetka, and the Town of Make Sure of All Things”(町にやって来たカルトを見抜いて家族を救う女の子の寓話)をお読みになるようお勧めします。

「女性がものみの塔で失った年月を取り戻すために」 by Randall Watters

「女性がものみの塔で失った年月を取り戻すために」
by Randall Watters

"Women Who Must Recover Years Lost in the Watchtower," by Randall Watters article printed in the Jan/Feb 1994 issue of the Free Minds Journal/http://www.freeminds.org/psych/recover.htm
(2002年4月22日掲載・2003年7月6日改訂)

「愛が世界を動かしているのではない。愛は、この世界を生きる価値のあるものにしている」― フランクリン・P・ジョーンズ。
古い思考や行動のパターンを変えよう

ものみの塔のようなグループにいた時間が長ければ長いほど、自分のパーソナリティにカルト的な特徴が染み付く可能性が高くなります。カルトの影響で一番よくあるのは、日常生活の道徳的問題について過度に単純化する「白か黒か」という態度です。その他に、光と闇の戦い、神と悪魔の戦い、真理と誤りの戦いを強調することで、攻防戦的なメンタリティ も生まれます。カルトのメンバーには、自分が日々どのような選択をするかを宇宙全体がじっと観察している感覚があるので、神や天使たちを決して失望させてはならないという、ものすごいプレッシャーや罪の意識を感じてしまいます。神や天使たちは、例えばあなたがどんな映画を見るか、どんな服を着るか、だれとつきあうかをじっと監視しているというわけです。ものみの塔はこれらの事柄について正しい選択 をするためのガイドライン を出版しています。これらのガイドラインははっきり規則として表現されることはなくひげを生やすのは賢明なことでしょうか… のような言い方で、このような選択を道徳的な問題に見せかけています。しかし現実には、こういう言い方はエホバの証人が従わなければならない暗黙の規則を表しているわけです。神や組織からの罰に対する恐れが、こういう暗黙の規則に服従させるために使われています。
不信と疑惑を克服しよう

カルトは家族を分断します。家族の絆への忠誠は、ただそれまでの間、そこそこ許されているだけです。カルトは、どんな犠牲を払ってでも組織に最大限の忠誠をつくさなければならないと強調して、家族をばらばらにします。家族の誰かがタバコを吸ったりポルノを読んだりしたときは、その人が自分から告白して罪を認めない限り、長老に報告しなければなりません。エホバの証人の女性がひそかに中絶したとき、このような情報を公開することがたとえ法律に違反していても長老に報告しなければなりません。地域の会衆のメンバーはさまよえる兄弟について報告すると、上に引きたててもらえる ので(つまり長老の機嫌 をとることができるので)、会衆の中の弱い人は誰かを密告して自分の立場を良くしたいという誘惑を強く感じてしまいます。出世のための卑劣なやり口と言えるでしょう。古いカルト的パーソナリティとして、独善性と、まさにこういう不信と疑惑の態度とをきちんと認識して克服する必要があります。人を信じること、昔の自分と同じように未熟な人に思いやりを示すことを学ぶ必要があります。
新しい友人を作る

カルトには、対等な仲間はほとんどいないと言えます。あなたは、先生か生徒のどちらかでした。両方であることもよくあります。いつも、見上げなければならないようなあなたより強い人がいて、あなたが訓練してあげたり正してあげなければならない、下にいるだれかがいました。対等な仲間というのはほとんどいません。それは、まさに、このような不信と疑惑のせいです。あとになって、悪用される恐れがあるから、親密になりすぎないように、人に自分のことを打ち明けすぎないように、気を遣う必要がありました。カルトでは、人との関係は、教師と生徒の関係か、同僚としてはなるべくうわべのものにしておくのが無難でした。しかし、カルトを離れようとする人にとって、信頼できる新しい友人を得ることは、人生で味わう最もすばらしい経験になります。最初は、新しい友人を信用するのはとてもむずかしいかもしれません。その人が自分を裏切らないこと、自分の感情にその人が無頓着にならないことに、賭けなければなりません。すでに自分の友達である人の友達から始めて、だんだん友情の輪を広げる方がやり易いかもしれません。すでに自分が知っている人が、「この人なら大丈夫」と言う人なら初めてでも心強いと思います。
家族への対処

女性がものみの塔を離れるとき、状況によって家族はいろいろな影響を受けます。ある離婚した女性は2年間組織にいて、当時8歳の子供をものみの塔の中で育てていました。ある日わたしに、もう断絶すると言いましたが、その時車の中にいた息子は、それを聞いて、目を輝かせ、やめて嬉しい理由を、ひとつひとつ、声に出して数え上げはじめました。少なくとも、この女性の家族にとっては、ものみの塔をやめるのはよいニュースだったわけです。やめるということを、人生における幸福で肯定的な出来事として受け取る人はいます。
夫とうまくいっている場合

夫またはパートナーと、宗教や信仰についてよくコミュニケーションがとれている場合には、ふたりで一緒にものみの塔のファウルプレイに気がつくチャンスがあります。カルトは、無知と恐怖で生き長らえます。カルトの手口は対話と文献で明るみに出ます。夫が聞く耳を持っていて、証拠を吟味する気になるなら、組織が神のものでないことに夫が気付く確率は圧倒的に高いでしょう。それが必ずしもものみの塔をやめることにはつながらないかも知れません――特に、夫の家族がエホバの証人で、家族から断絶される場合には。主に家族のために残るのであれば、あなたが断絶したとしても、結婚生活には大した支障にはなりません。組織の中の人たちに働きかけて救出するために、夫と妻の双方が組織に残ることを選ぶ場合もあります。
夫が脱会に反対の場合

辞める決意をした女性のみんながみんな、幸運と言うわけではありません。夫がエホバの証人で、ものみの塔の信頼性を揺るがす資料を一切拒否したり、心に疑念を浮かばせるような問題を話し合おうとしない場合、妻は、いらだち、失望します。あなたがこういう状況ならば、エホバの証人以外の頼れる友人を確保してください。自分自身の新しい社会生活を築いてください。教会に行くのが嫌でなければ、夫があなたのそばにいてくれるかどうかに関りなく、あなたが新しい生活を始める力を得られるように、他の人にも祈ってもらいましょう。夫があなたと共にいてくれるだけの愛情があって、あなたに敬意をはらって尊重してくれるなら、少なくとも、この嵐を乗り切るだけの力が、あなたにはあります。夫が、エホバの証人の男性が妻に対して示すおきまりの「丁寧さ」であなたを扱ったり、あなたに冷たくなるなら、痛みや別離が避けられないとはいっても、ともかく、少なくとも自分自身の個別性と自尊の感覚を持って逃げることができます。もし、自分の人生に本当の個別性がなく、自分のアイデンティティが完全に夫に包みこまれてしまっている場合は、ひどい苦痛や、夫への怒りを感じることでしょう。もし、できるなら、できるだけ早いうちに、このような状況に対して備えておいてください。
理解がある子ども/怒りの問題

人間の組織がどういうものか、場合によって不正直やだましがどのようにしのびこむかをあなたが説明すれば、幼い子どもたち(10代前)には集会への参加をやめるのはむずかしいことではないでしょう。裏表紙の記事(訳注:元々はFree Minds Journal誌に掲載されていた)を読んで、子どもたちとこの問題を話し合うときの参考にしてください。

十代以上の子どもたちにとっては、エホバの証人としての生活は異常にきつく、仲間たちの間で自分が反社会的に感じさせられるものです。このため、子どもたちは、多感な時期を生き延びるため、プライドやエリート主義の態度などの自己防衛メカニズムを発達させます。ママは間違っていた、ものみの塔は本当は神の組織ではなかった、ということを伝えようとし始めると、遅かれ早かれ子どもの怒りが表面化します。なぜでしょうか?

今までこの宗教のためにこうむってきたあらゆる拒絶、あざけり、苦痛がすべて無駄になったとわかった時、怒りが生じます。今まで夢見てきたのに実行することを許されなかったことのすべてが、心に浮かんできます。スポーツ、学校でのコンテスト、ダンス、美、チアリーダーなど、これまで夢見ることしか許されなかったこと(自分をごまかしてはいけません、もちろん、子どもたちは、これらのことを夢見ていたのです!)が、今や記憶に浮かんできて、離れません。今までこれらのことを禁じてきたあなたに対する怒りが、あなたに対する反抗や、すべての宗教、特にキリスト教に対する反抗として現れることもあります。こうしてあなたに向けられている怒りにどうやって対処したらよいでしょうか?

なによりもまず、あなたは冷静でいなければなりません。弱さを認め、すわって、自分が失った年月についてのあなた自身の苛立ちを子どもと分かち合ってください。今まで犠牲にしなければならなかったことを書き出して見ましょう。そして、子どもにも同じことをするように勧めましょう。この話し合いで子どもが言おうとすることをよく聞いて、このことについて、子どもの許しを乞いましょう。今まで子どもにこのような弱みを見せたことがなかったのなら、今こそ始めるべき時です。最初は、居心地悪く、きまり悪く感じるかも知れませんが、子どもの怒りを解くのにとても役に立ちますし、結局は子どもともっと近しい関係になれるでしょう。子どもの再出発を助け、促してください。親子ともに立ち直る計画を立ててください。いつから始めるか、ちゃんと決めておきましょう。放っておいてあとから決めよう、などとは思わないで下さい。子どもたちは、あなたの誠実さと、あなたの子どもたちへの愛情、あなたが子どもたちのために最善をつくしていることを示してもらう必要があります。
対立的なこどもの場合/怒りの問題

子どもが怒りを表してあなたに反抗する場合があります。突然ものみの塔の側について、あなたがやめることに反対するかもしれません。あなたに押しつけられた宗教のせいで何年もいろいろな事を犠牲にしなければならなかったために、あなたに対して感じている怒りが、独り善がりな言動や、あなたが「真理」から離れることで罰したいという欲望として表面化する可能性があります。子どもたちにとっては、生まれて初めて形勢逆転して、あなたが「弱い」エホバの証人になり、自分たちの方が突然「霊的に強い」と考えることができるようになるのです。これは、子どもたちにとって、棚ぼたの幸福なので、この際やれるだけのことをやってそれを味わおうとすることが珍しくありません。あなたを罰することで満足感を得たり、生まれて初めて「エホバ」の前で清い良心を保っていると感じたりすることもあるでしょう。実際には、これは、あなたの弱みをつく、一種の楽しいゲームに過ぎません。振り回されないで下さい。これは、あなたの成熟さを試す試練なのです。つまり、弱さや敏感さを示しつつも、その弱みを子どもに手玉にとられてはならないのです。人の弱みを手玉にとることについて子どもと話し合うだけで、たいていは解決できます。たとえ子どもでも、自分が人の弱みを手玉に取る人間だとは思いたくないものなのですから。
舅 姑

夫がエホバの証人に留まろうと離れようと、舅姑がエホバの証人の場合は、問題が起こると予想されます。(よほどこれまでコミュニケーションがうまくいっていたのでない限り!) 舅姑は、あなたの「信仰が弱い」ことや、大事な息子を苦しめて恥をかかせたことに対して、あなたを罰しようとすることがよくあります。あなたを背教者扱いして、絶交しようとすることでしょう。しかし、これもやはり人を手玉に取るやり方なのです。相手になってはいけません。あなた自身が調べた結果に基づいて、理性的にものみの塔を離れる決心をしたことを説明してください。そして、もし見たければすべての証拠書類を持っているのでいつでも見せます、と、言ってください。この宗教を離れることを理由にあなたをどんなに罰しようとしても、自分は神と人との前で清い良心を保っているので無駄だと言ってください。そして、組織をやめても夫(彼らの息子)への愛は変わっていないことも伝えましょう。あなたの本質が弱くはないことを知らせる必要があります。あなたがこれらの問題を充分時間をかけて考えてきたことを知らせる必要があります。もし、あなたにためらいや「霊的弱さ」があるのを感じたら、義理の親たちはこれまであなたに抱いていた敬意を失うでしょう。

1993年9/10月号の『Free Minds Journal』で強調されているように、カルトは、麻薬のように作用することが少なくありません。人生の望ましくないものから逃げて、自尊心の模造品を作り上げる助けになるのです。しかし、このために、自分自身の生得の人格が犠牲になり、なにか恥ずべきもので隠さなければならないものであるかのように、カルト人格の下にうずもれてしまいます。ほとんどのカルトでは、結婚しているカップルではセクシャリティが許容されてはいますが、寝室での特定の行為が禁じられることが多いのです。70年代には、多くのエホバの証人の妻が、オーラルセックス拒否が原因で離婚しました。ティーンエージャーは、一般に、エホバの証人でない相手とデートすることは許されず、多くは、本当に恋に落ちたわけではなくただ性生活を持って家を出るだけのためにエホバの証人同士で結婚しました。私は、これまで会った中で最悪の男性と結婚してしまったJWの女性からの電話を、数多く受けています。兄弟や姉妹と触れ合うのは危険だとか、姦淫につながる恐れとかが強調されるため、エホバの証人の間では、肉体的親密さが特に欠けていることが多いのです。情愛のある夫を見つけた妻もいますが、結局は会衆の長老になって、自然なやさしさやロマンスの味わいを失っていくのを見ているしかありませんでした。「組織人間」が感情的には枯渇していることを思い知らされることになったのです。
デートしようと思っていますか?

前にも述べたように、エホバの証人は、組織外の人とはデートしないように言われていますし、エホバの証人同士のデートも二人っきりにならないように、付き添いが同行します。最寄りの王国会館の男性から誰かを選ぶことを考えた後で、多くのJWの女性は、感情的・性的満足を求めて外の人を探しますが、このことで非常に大きな罪悪感を抱いてしまいます。このようにして、外の男性との付き合い、罪悪感、外の男性に操られて捨てられるか自分から捨てる、そしてまたその繰り返し、という、悪循環に陥る女性もいます。悲しいことに、このような女性たちは、罪悪感やエホバの証人仲間からの村八分のせいで、ロマンスの喜びを全く経験できなかったのです。

何年も過ぎ去ってしまって、もうやり直すには遅すぎると思っていませんか? 盛りを過ぎてしまったと思っていますか、それとも、もう、自分は男性にとって魅力的でなくなったと思っていますか? 私自身が見てきたところでは、正真正銘よほど醜いのでない限り、恋愛するに足る、よい男性を魅了できないなどということはあり得ません。もし問題があるなら、醜さや大きい鼻やしわやいぼなどは、整形手術で解決できます。自分は太り過ぎだ、と思っているなら、ふくよかな妻(豊かな、美しい女性)を好む男性がたくさんいること、そういう男性の中には、魅力的な人がたくさんいることを知っておいてください。世の中には、よいダイエットプログラムもあります。自分に自信が持てるようになるためにできることがあれば、安全で費用に見合うものであれば、積極的に何でも考えてみてください。ものみの塔のために、残りの人生まで棒に振る必要があるでしょうか???(これまでの何年間かで、もう十分ではありませんか?)

男性は、女性の若さや美人度(外見で見て10点満点だとか)などより、外向的な性格や、ユーモアのセンスなど、人柄に惚れ込むことが多いものです。あなた自身が自分を否定的に見ていると、それは周りにも伝わって、他人もあなたを同じように見るようになります。あなたが自分をもっと肯定的に見始めると、あなたは輝きを増して、人を魅了するようになります。霊性についてのよいセンスや人生の深みを持っている女性は、なおいっそう魅力的なのです!
再婚しましたか?

ものみの塔を離れた女性の多くは、エホバの証人以外の男性と再婚しています。ほとんどの場合、幸福な結婚生活のようですが、夫がなかなかものみの塔での過去の経験を理解できないことも多いようです。夫たちには、そもそもこれほど奇妙なカルトにどうして人がひっかかるのか、非現実的に思えてしまうのです。もし、あなたのご主人も同じ状況でしたら、スティーブン・ハッサンの『マインドコントロールの恐怖』か、私の『エホバの証人のマインドコントロールの理解』をご主人に読んでもらうとよいでしょう。緩慢かつ慎重なカルトの教え込みのプロセスは、非常に巧みなもので、環境が整えば、もっとも知的な人でさえ取り込むことができます。ご主人が教え込みのプロセスをよく理解すれば、あなたとあなたの知性を、今よりずっと尊敬するようになるでしょう。ぜひ、これらの本を、ご主人に読ませてください!

「ものみの塔」の子供たち    by David L. Harvey

「ものみの塔」の子供たち    by David L. Harvey
"Children of the Watchtower" by David L.. Harvey," Free Minds Journal. http://www.freeminds.org/kids/wtkids.htm

(2002年4月22日掲載・2003年7月6日改訂)

エホバの証人は子供を虐待しているのか? ものみの塔は本当に子供への精神的および感情的虐待を助長しているのか? ここでは実際エホバの証人がどのような子育てをしているか見てみよう。子供たちは幼い頃から、神に仕えるというのは「エホバの組織」の中で活発であることだと教えられる。何にもまして強調されるのは組織や長老への忠誠と従順である。組織を守り、批判的な発言は慎まなければならない。子供たちは「家から家への証言」に参加し、ものみの塔の出版物を配布するよう教えられる。神権宣教学校(絶えることなく続く教育課程)に入学し、人前での話し方、見知らぬ人への話しかけ方、反論に対処する術を身につける。どの「増し加える業」もそうだが、出版物の配布も果てしなく続く新しい成員(将来同じ活動に加わることになる)の勧誘活動の一部である。

子供たちの時間は完全に管理されており、毎週5つの集会に出席しなければならない。ものみの塔の出版物を読み、神権宣教学校の割り当ての準備をし、書籍研究の予習をし、書籍配布のための証言を用意しなければならない。書籍配布には戸別訪問と街頭での証言(通りに立ち、道行く人にものみの塔や目ざめよ!を提供する)がある。

奉仕時間、出版物の配布数、再訪問数は野外奉仕報告書に記載して報告する。聖書研究の司会ができるようになると研究報告書も提出する。この情報は会衆の伝道者記録カード(実際はこのカードは関連するすべての個人情報が記された成員記録である)にまとめられる。毎月、時間報告をしなければ「活発」とはみなされない。「不活発」とみなされると「活発」の地位に復帰するまで3カ月かかる。「不活発」な者は親や長老から励ましを受けることになる。

以下は一般的な青年の一週間の活動時間である。
活動内容 1週間あたりの時間
奉仕会 1
神権宣教学校 1
書籍研究 1
公開講演 1
ものみの塔研究 1
野外奉仕 2.5
1週間あたりの ものみの塔に関する総活動時間 7.5

これに加えて春と秋には巡回大会、夏には地域大会がある。9日から12日を費やして「エホバとその組織に仕える」よう鼓舞、激励される。

子供たちは学校が休みになると、月60時間を野外奉仕に費やす「補助開拓者」になるよう勧められる。これに学校の宿題や集会の準備等のすべての活動が加わり、全くゆとりがない。「神の王国」より「世」のことに関心を持つことには罪悪感を抱かされる。(「あなたが「王国」のこと以外に時間を浪費することをエホバはどうお思いになるだろうか?」)子供たちは世間に対する不自然な恐怖心を植え付けられる。ものみの塔以外はすべてサタンの組織に属している。エホバの証人だけが神のご意志にかなう「神の民」であり、神の望んでおられるやり方で神を崇拝している。エホバの証人だけがハルマゲドンを生き残ることができる、つまり神の組織だけが安全な場所である。子供たちは非常に幼いうちからハルマゲドンで滅ぼされる恐怖、組織の期待に応えることができないことへの罪悪感、排斥されみんなの前で恥ずかしい思いをすることへの恐れをたたき込まれている。

学校でのクラブ活動や課外活動に参加しないよう勧められ、国旗掲揚、国歌斉唱は禁じられている(国旗が掲げられ、国歌が演奏されても着席していなければならない)。誕生日や祝祭日を祝うこともない。エホバの証人以外との交流は勧められておらず、時に禁じられる(「エホバはあなたの友達のことをどう見ておられるだろうか?知ってるだろう、悪い交わりは有益な習慣を損なうんだよ」)。

現在の組織の見解に従い、エホバの証人はたとえ命を落とす危険があってもある種の医療処置を拒否する。臓器移植やいくつかのワクチンは50年代初頭までは禁じられていた。組織は1980年に臓器移植を受け入れる決定を下したが、全血、部分血輸血は(血友病患者を除いて!)禁止されている。親は組織の指示に従うよう求められており、幾度となく変更される「神の規則」に従うために、子供に輸血を施すようにという裁判所の命令を妨害あるいは無視することも珍しくない。

以前は大学進学をあきらめるように仕向けられていたが、ものみの塔協会は態度を軟化させている。しかし知的職業を目指すより職業学校を強く勧めている。理想とされるのは「全時間開拓者」になることであり、兵役、行政職につくこと、警察官になること(選挙でさえも)は禁じられている。

これらすべての積み重ねが最終的に強力なマインドコントロールとなり、完全に操られるようになる。罪悪感、不安感、恥辱、そして恐れを頻繁に感じさせられることで、子供たちは組織の言いなりになって働くよう追い込まれていく。子どもは親に愛されたい、認められたいと望んでいて、ただ自分に目を向けてほしいという気持ちから従うこともよくある。組織で「良い地位」にある時だけ愛や友情を得ることができる。期待通りの行動をとることができなかったり、拒否したりすれば(親、兄弟、個人的な友達からのものでさえ)愛や友情は消え失せる。長老たちは霊的に弱いあるいは病んでいる人を「エホバのやり方」で「精神的に立て直す」努力をする。自分から離れたり排斥されたりすると、即座に愛、友情、つきあいがなくなり隔絶される。話しかける人はおらず、死んだものとされ、激しく嫌悪される。このような非人間的な扱いへの恐怖は、「忠誠」を保たせるに十分なものである。しかし時にそれが十分でないこともある。

エホバの証人として育てられた人々からの手紙の量や、ものみの塔内での自殺や精神病の定期的な報告は責任の大半がものみの塔の指導部にあることを物語っている。

「身体的・感情的虐待による人格障害」   by Gary Busselman

「身体的・感情的虐待による人格障害」   by Gary Busselman

"Personality Disorders Resulting from Physical and Emotional Abuse," by Gary Busselman, Free Minds Journal. http://www.freeminds.org/buss/disorder.htm
(2003年7月16日改訂)

私の信条の核心は、ものみの塔による恐怖症の刷り込みの結果だった。それは私の両親によって強化され、親戚のほとんどを含む、最寄りの会衆のメンバーたちによる集団的努力によっても強化された。

私の父の両親はエホバの証人だった。父は1935年にバプテスマを受けた。私が7歳の時、ものみの塔の組織が両親の生活の第一の中心になった。私は 1974年に、ものみの塔の支配からただ単純に離れ去ろうとした。私がものみの塔を離れたことは自覚していたが、ものみの塔の教えが私から離れてはおらず、実際には私が自分の人生を送る上での信条の核心になっていることに自分では全く気がついていなかった。

エホバの証人になろうとしていた頃、私は不協和を経験した。不協和とは、不快感や時にはひどい苦痛をもたらす内的矛盾のことをいう。協和と不協和は、フェスティンガー、リーケン、シャクターによる『予言がはずれる時』(Festinger, Riecken, and Schachter,When Prophecy Fails, 1956)で述べられているように、私が信じていることと私の行動とが矛盾するときに起こる。それはこんな具合である――私の信条の核心は、ものみの塔こそ神が地上のすべての人々と連絡する唯一の手段であること、神のご親切を得る唯一の方法は週に5つのエホバの証人の集会に出て、印刷物を配り、友人、未信者の親戚、その他私が出会うすべての人々を組織に勧誘し「今の真理」のすべてを信じることである。ところが、どういうわけか、私はこれらすべてのことを行うことはできず、私はできそこない、神に対する裏切り者、時には生きる値打ちのない者だと感じていた。私が「もう自分の人生を生きる」ことにして、ものみの塔で教え込まれたことを否定しようとした時、私は不協和(苦痛)を経験した。内的矛盾による苦痛を感じる度に、私はその矛盾を解決しようとしたり苦痛を和らげたりしようとした。

神に拒絶されたと感じるとき、私は自分には価値がなく、他の誰からも拒絶されたと感じるのが普通だ。走ろうとすれば十分速くも、十分遠くへも走れない。それでいつも休まらない。不協和の原因が何なのかを知らずに不協和の原因を変えようとすると、決まって間違ったものを変えてしまう。自分の信条の核心そのものを問い直そうとはしないのである。私の信条の核心は、私の理性、私の基準、私の弁明、私の安全、そして私の基礎そのものだ。そのため私は自分の環境の方を変えようとする。仕事を変え、家を変え、町を変え、友人を変え、妻を変え、私の身の回りのものすべてを変える。外からは、私は過激で一貫性がなく、落ち着きがなくて短気で欲求不満に見える。私には人間関係の問題があり、常に3つの危機があるように思える。私が脱しかかっている危機、私がそのただ中にある危機、そして、今まさに自分で作り出そうとしている危機の3つである。自分の生活がある線までうまくいかなくなると、不協和は減る。なぜならそれは、ある意味で私が組織を去れば、今までに組織を去って行った他の人々と同じ運命をたどるだろうという、ものみの塔の主張が正しかったと証明することになるからだ。ものみの塔には噂のネットワークがあって、排斥されたり「エホバの組織」を立ち去ったりした元メンバーたちにどんな恐ろしいことが起こったか、いつもささやかれている。私自身、現役の間、元メンバーに良いことが起こった話をおよそ聞いたことがない。

私やお互いに対しての、メンバーの振る舞いを受け入れられなくなり、「今の真理」のすべてを受け入れることはできなくなり、組織を去ることの恐怖よりも、中に留まることのつらさの方が大きくなったとき、私はものみの塔を去らなければならなかった。私は、自分がものみの塔によって自分を破壊するように仕組まれていたと思っている。私が、人や場所や身の回りのものを変えようとして、それが何の役にも立たなかった時、私は次のどれかを選ぶしかなかった。

1. ものみの塔に戻って、今度はマインドコントロールがうまく働くかどうか試してみる。
2. 人、場所、身の回りのものを変えようとし続けて、混乱のうちに留まる。
3. 深く抑鬱に沈んで、たぶん自殺する。
4. アルコール、食物、仕事、セックス、処方箋がないと手に入らない薬で自分の感情をなだめる。
5. 回復する。自分がされたことを受け入れ、それを克服し、人を助ける。

私は回復を選んだ。私は自分の身に起こったことを、自分ではもはや変えられないものとして受け入れることを選んだ。私の過去と向き合い、私の信条の核心のほとんどすべてを実際に変えることによって、人生で力を取り戻すことを選んだ。変われるようになるには、その前にまず自分自身について、いくつかのことを受け入れなければならない。私自身について受け入れるのが一番難しいことは、人格的境界がないこと、自尊心がないこと、私を拒絶し虐待する人にほとんど強迫的に惹かれることである。
境 界

人格的境界がないために、私は、適切でないことを他人に対して行ってきた。自分自身の境界がないので、他の人々の境界がわからず、尊重することができなかった。もし私が他人の境界を越えてしまって、その人が健全な人でそのことを私に言うと、私はそれを、個人的な拒絶として受け取ってしまった。…そして私は、拒絶に耐えられない!

エホバの証人だった父と母に拒絶され虐待されていたために、私は私を拒絶し、虐待する人々や組織に引き寄せられ、魅了されていたようだ。私は、自分で自分を袋小路に追い込んでいるようだった。人格的境界がないために、自ら侵害、拒絶、虐待に追い込まれてしまった。

私は自分で自分を危険なサイクルに追い込んでしまっていた。それはこういうことだ:ひとりになると、仲間を探す。仲間は感情の地雷原を歩くような目に遭う。私が自分の境界を定めることができないので、仲間は境界を踏み越えてしまう。私には一貫性がないので、昨日はOKだったことが今日はOKではない。やがて、私は怒りと恐怖が募ってきて、そのうちに爆発する。私の振る舞いのせいで人は私から離れて行き、そのために私は独りぼっちになってゆく。そうして、この同じサイクルを始めから繰り返す。

今では、健全で楽しめる人間関係を保つことができる。「今はちょっと間が悪いんだ。こっちから電話、かけなおしていいかい?」とか、「そういうことをされると愉快じゃない」とか、一番大事な一言、「NO」を言える。

私の自尊心のなさは力だった。火にロケット燃料を注ぐようなものだった。私の「安心毛布」(訳注:スヌーピーに登場するライナスがいつも離さない毛布)、私のアイデンティティ、私を全能にするもの、私を正当化するものだった! 私の身に起こり得る、文句なしに最悪のことは成功することだった。もし物事がうまく行き始めたらご用心!

私は最高の手札を台無しにした。人間関係であろうと、仕事であろうと、うまくいくものは何でも、滅びる運命だった。自分で、それが長続きしないようにしていたのだ。そして自分を憐れみながら「ほら、言った通りだ。どうせ何もうまくできない」「俺の手が触れると何でもゴミになる」と言うのだ。
拒絶…魅了

あなたが私を拒絶すると、私は蛾が火に引き寄せられるようにあなたに引き寄せられる。あなたが私にひどい扱いをすればするほど、私はあなたのそばにいて安心で快く感じる。私はカオスを愛する。カオスにあって私は幸福なのである。そのわけは、たぶん、こういうことだ:

私の母はエホバの証人の教え込みを受けてから、弟と私を叩くようになった。私たちは厳しい基準を満たすように強制されたが、私たちにはできなかった。母が私を叩けば叩くほど、私は母に認めてもらおうと一層努力した。

私は、弟を母の怒りから守ろうとした。弟が母を激昂させるようなことをすると、私は、母が弟を忘れて私に向かってくるように、弟よりもっと悪いことをした。

私は自分の分の体罰と、弟の分の体罰をすべて受けた。その結果、私は弟を恨んだ。自分が受けた弟の分の体罰のために弟を非難し、自分が受けた自分の分の体罰のために自分自身を非難した。いまでも幼い子供が行儀を悪くしたり騒いだりすると、私は恐怖でいっぱいになる。エホバの証人の子供にとっては、そういうことが起きれば必ず誰かが殴られるということだった。

エホバの証人の王国会館や会衆の誰かの家での聖書研究集会で、私はたくさんの児童虐待の被害者でもあり目撃者でもあった。あるグループの家庭集会で、その家のエホバの証人が自分の子供を皆の前で叩かずに無事に終わったことは一度もなかった。誰かが子供たちを弁護するのを見たこともなかった。それどころか、集会に集う人々は体罰を援助していた。そのエホバの証人は私の両親より信仰歴が長かったので、彼の行動はおそらく私の両親にとってモデルになっており、弟や私への体罰を正当化していたのだと思う。

エホバの証人である私の母は、私を殴り、わめき、怒りながら、私を愛していると言っていた。ちゃんとしつけなければ(殴らなければ)私たちが「悪く」なると言っていた。母は怒り狂って怒鳴り、殴りながら、聖書を引用し、手や腕の血管が切れると「あんたたちのせいでこうなったのよ」と叫んだ。私は殴られた後、母に「お母さんなんか大嫌いだ!」と言ったことを覚えている。母は、エホバの証人である父が帰宅すると私を父に任せ、私はもう一度殴られた。そのあと両親は、私たちに過剰に優しくした。私たちは罪悪感からの贈り物をたくさんもらった。私たちが幼い時に、両親がものみの塔の大会に出るために私たちを親戚に預ける時にも、罪悪感からの贈り物をもらった。1953年に両親がニューヨークの大会に出たとき、2週間の留守の間、新しいマンガ本を読んで過ごした。

弟と私は、時にはエホバの証人の集会で、「友人たち」の前で誉められ、それから家に帰るとものさしやハエたたきで殴られた。家は私にとって安全な場所ではなかった。王国会館も安全な場所ではなかった。

いま本当の癒しは、エホバの証人ではない友人(エホバの証人の中の元の友人たちは私を避けている)、妻、4人の息子のうちの2人から得ている。同じ経験を持つ人たちと定期的に交わることは、本当に役に立っている。つきあいの輪が広がって、ひとりぼっちになる暇がない。

(ゲイリーの最初の妻は、ものみの塔による輸血禁止のため1971年に亡くなった。その物語はFree Minds Journal, March/May 1995 の"Just Up the Hill A Ways" に出ている。)

Gary Busselman
7201 E Madison St
Sioux Falls SD 57110

忌避 - 「エホバの証人の信仰の一部」(ものみの塔1988/4/15 p.29) by Gary Busselman

忌避 - 「エホバの証人の信仰の一部」(ものみの塔1988/4/15 p.29)
by Gary Busselman

"Shunning: 'A Part of the Faith of Jehovah’s Witnesses'" by Gary Busselman Free Minds Journal. http://www.freeminds.org/buss/shunning.htm
(2002年4月22日掲載・2003年7月6日改訂)

忌避する
- 遠ざかる;周到に、または、一貫して避ける(Webster's New World Dictionary)
- 関係しない;避ける(Funk and Wagnall’s Standard Desk Dictionary)

なぜ効果があるのか

私がある決められた行動を取らなければ話し掛けないと脅す人を、なぜ私は恐れなければならないのだろうか。なぜ私は、話し掛けないことによって誰かを罰しようとするのだろうか。たまたま出会っても話し掛けようとせず、ただじろじろ見たり無視したりするグループに受け入れられようとして、なぜ人々は努力するのだろうか。忌避する人にはどんな報いがあるのだろうか。忌避される人にはどんな報いがあるのだろうか。

元エホバの証人として、私は、人と忌避し、自分も人から忌避されてきた。多くの人は、忌避したりされたりすることに魅力を感じないだろう。おそらく、ほとんど誰でもそうだと思う。エホバの証人社会での、排斥された人との忌避についてよく知らない人に、排斥の教理について説明すると、信じられないという目で見られる。

私が現役証人だった時、ある排斥された女性が小さな子どもたちをつれて木曜夜の集会に出てきたことを覚えている。集会は午後9:45ごろ終わった。その女性は、後ろにすわっているように言われ、だれにも話し掛けることができず、誰からも口をきいてもらえなかった。私たちが集会から帰るとき、この女性は、10時過ぎに、すぐ近くで車が壊れて、小さい子供連れで困っていた。私たちはものみの塔への義務を果たしてこの女性を避けた。手を差し伸べようとはしなかった。私は、その後、二度とこの女性に会うことはなかった。

忌避の脅しがなぜ私をものみの塔に縛り付けたのか、いま私にはよくわかる。あの夜、私たちは、車が壊れたあの女性を「解放」したが、一方で私たちのものみの塔への隷属はさらに強くなった。これには、二つ理由がある。

1. 私たちは、罪に荷担することによって、互いに結び付けられた。私自身の(全然クリスチャン的でない)行いを受け入れるためには、私は、組織の他の成員たちの行いを認め、奨励し、受け入れ、大目に見なければならなかった。忌避は、私に力の幻想を与えた。力のない人間にとって、力の幻想は麻薬だ。
2. ものみの塔の命令を守るためにどうすればいいのかについて、組織のメンバーたちが私の手本になっていた。私は、自分があの女性の立場だったらどうだろうと、一瞬考えてみた。そして、ああいう目に遭いたくないと思った。エホバの証人の両親に育てられ、7歳からものみの塔によって教え込まれた結果、私の本当の安全は、すべて、ものみの塔の手綱に縛り付けられていた。組織を離れることは、とても考えられないことだった。集会では、排斥や忌避や「エホバの組織」を離れた結果について、定期的に論じられていた。

忌避とは、私たちがかつて兄弟姉妹と呼んだ人々に店や町で出会っても、知らん顔して通りすぎることを意味する。他のエホバの証人がいるところで私が「忌避」を実行した時、私には、その行いがエホバに対する私の忠誠の証しとなるように感じられた。私は、霊的に高い基準(ある種の宗教的「優位」)にあった。私がひとりきりの時は、交わりを絶つべき人に出会っても、それほどきっぱりした態度は取れなかった。しかし、誰か他のエホバの証人に見られる可能性がある時には、私は、完璧に取るべき態度を取ってみせた。人に見られないような状況では、何か落ち着かず、目を合わせてうなずいたりしていた。
霊的虐待としての忌避

最近、ある元エホバの証人と話していて、虐待の問題が話題にのぼった。「エホバの証人と関る中で、直接的・間接的虐待、または虐待の準備でない状況があるだろうか?」という問いが話題になった。私たちは2時間ほどこのことについて語り合い、エホバの証人と関るすべての状況で、必ず実際の被害者または潜在的被害者がいる、という結論に達した。結論:エホバの証人または「母なる」組織(ものみの塔)とのいかなる接触も、神の名における虐待すなわち霊的虐待である。

現実の虐待や虐待の脅し、物理的、精神的、感情的、および言葉による虐待は、メンバーを支配する力であり、多くの元メンバーを支配する力でもある。恐れ、罪悪感、恥、憎悪、そしてのちには恨みと怒りのために、私は、汚い通りで浮浪者に囲まれたり、家から家へ歩いたりして、「ものみの塔」誌を売り続けた。

交わりを絶つことは、おそらく、人間としての私への究極的拒絶であり、もっとも残酷な精神的、感情的、心理的虐待である。私に対するエホバの証人たちによる忌避の結果は、ひどい痛みと苦痛だった。…しかし、それは、私がそれに甘んじている間しか続かないのである。
忌避は麻薬である…

…そして麻薬使用者はそれを可能にする者(イネイブラー)を必要とする。私は、人間を虐待する人や物についていくつかのことに気がついた。他の人間を虐待する者は、理由があってそうしている。物質や行動へのどんな依存でもその点は同じだ。中毒患者はその対象から何らかの「報酬」を得ている。私は、中毒の問題について調べてみた結果、興味深い結論に達した。

中毒患者は麻薬を必要とし、虐待者は犠牲者を必要とする。忌避を行なう者は心理的ゲームを演じており、ルールに従ってつきあってくれるプレイメイトを必要としている。忌避は、彼らにとって麻薬なのだ。虐待者は、虐待を行なうために、だれかの助力が必要だ。つまり、イネイブラー(犠牲者)が必要だ。犠牲者がいなければ、虐待者は虐待を続けることができない。ものみの塔の忌避の規則は、忌避する者と、その犠牲者との両方が従わなければならない。さもなければ、忌避は成立しないのである! 忌避はショーである。理想的には、それを演じるべきアリーナと、観客が必要である。
私の責任を認めること

私には、私が愛する自分自身を虐待から守る責任がある。私が愛する多くの人々や本当の友人たちに対しても、その人たちを虐待から守る責任がある。私たちは、たとえ親に対してであろうと、自分たちを守る責任がある。親への敬意、服従にも限度というものがある。親を敬うとは、求められたとき、食物、衣服、屋根を与え、非難せず、礼儀正しく言葉を交わし、求められたことに対して便宜を図ることである。親を敬うことは、どんな種類の虐待であろうと、自分自身を親の虐待の対象にすることを意味しているのではない。傷が外から見えなくとも、感情的虐待の苦痛は身体的虐待と変わらない。

忌避は、ものみの塔の主な強壮剤のひとつである。エホバの証人たちが私と忌避し、私がそれを許すなら、それによって私は彼らの規則を尊重して見せていることになる。それでは、私は彼らの悪い行いを奨励し、次にまた同じことをするのを許すことにしかならない。実質的に、私は彼らに対して(そして私自身に対して)、私がそういう仕打ちに値すると言っているようなものだ。

エホバの証人は、部分的忌避も行っている。夫婦(片方が現役証人で、もう片方が排斥または断絶した証人)は、家の中で交わりを絶つように教えられている。こういう行為を、私は受け入れることができない。明らかに、家族を引き裂く意図がある。夫婦の片方がもう片方を霊的に忌避しなければならないとしたら、エホバの証人は、どうやってその夫婦が結婚のすべての誓いを守れると思うのか? 結婚をセックスとビジネスに格下げすることなど、どうしてできるだろう? 庭や天気や10時のスポーツニュースの話だけで、夫婦がどうして幸せになれるというのか?

私は、ある日、こう考えた。私は、私が教えられてきた信条(過去と現在の信条、特に、教え込みに使われた信条。これらはおそらく私の信条の核になっている)を見直す必要がある。自分の人生を送るために持ち続けるべき原則とするのか、それともゴミとして棄てるのか、よく見て決める必要がある。まず、教えの中から原則を探そう。それから、紙に、一つ一つ書こう。そして、それらを検証しよう。最初はそれら自体を。そして、それら相互を照らし合わせて。私の場合、それらをまずものみの塔自体の基準に従って検証し、それから、私個人の基準で検証した。ふたつの基準が混じり合わないように注意した。私は、すべての原則、そう、文字通り、一つ残らずすべての原則が本当に私自身のものと言えるようになるまで、そして、それらの原則を受け入れる自分なりの理由をはっきり言えるようになるまで、この作業を行なう必要があった。ある考えを拒絶するとすれば、それはなぜなのかも理性的に説明できなければならなかった。ほとんどの問題について、私は、一つは賛成側、もう一つは反対側の、2冊の本を読む必要があった。ある問題について賛成反対の二つの見方で論じられないなら、私にはその問題がわかっていないということがわかる。教条主義と強制された画一性には、一つの側しかない。

私は、私自身に対して自分の原則を検証して確立するという義務を負っている。その原則によって生き、それに対して誠実かつ忠実であり、またはそれを変えることができる。私の人生で白黒なのは、新聞と古い映画だけだ。ものみの塔から解放された自由な思考者として、私は、常に学び続け、自分の意見を形成し続けている。そして、それは、楽しい。たくさんの論題に対する私の意見は「わからない」だし、いくつかについては「どうでもいい」。

虐待者がその行いの結果に苦しむようにさせるためには、なにも私たちが虐待し返す必要はないのだ。私がしっかりした立場に立って、それをはっきり伝えるだけでいい。ものみの塔の教理がくるくる変わるのは困ったものだし、以前のエホバの証人の友人たちや親戚たちが、お金のからんだ時だけ私にいい顔をするのにはうんざりする。最新のものみの塔の方針に追随する操り人形は私には受け入れられない。たとえ、たまたまその方針が私の好みにあうとしても。
忠誠と愛の混同

ものみの塔から人を救出することが自分の人生の焦点になり、執着になった時、私は自分にも他の誰にも役に立てないことがわかった。虐待者を非難し、彼らと関係を絶ったとき初めて、私はこれらの人々から苦しめられてきた人たちを助けることができ、自分も自由でいられるのだということがわかった。私と忌避したエホバの証人たちが私の生活に割りこみ、攻撃するのは、私が彼らにそうさせている間だけのことだ。私は、組織のリーダーから直接傷つけられたことはないが、自分の知り合いや親戚からはいつも傷つけられてきた。そして、それは、いつも、私が彼らの手の届くところに自分の身を置いていたからだ。自分を犠牲者の立場に置いておくのは無力な状況であり、私には何らかの力が必要だった。エホバの証人に対して守るべき自分の縄張りを決めて彼らを抑止することで、信じられないほど私の力は強まった。エホバの証人である義理の姉は、私が電話して「あなたがエホバの証人で私との交わりを絶っている間は、我が家では歓迎しない」と言うと、囲いの中の豚のようにキーキー言った。身体的・霊的虐待を行なう人は、誰であろうと、我が家では歓迎しない。私は、エホバの証人でない子供たちに、エホバの証人の残酷で虐待的な行いを見せるわけにはいかない。このようにして本当によかったと思っている。

もし私の幸せが、自分の息子、娘、母、父、兄弟、姉妹、その他の特別な人がものみの塔を離れるかどうかに掛かっているとしたら、自分の幸せの値打ちを低く見積もり過ぎている。他の人々、場所、あるいは物が変わらない限り、いい人生を始められないとしたら、ものみの塔のメンバーと同じくらい束縛されていることになる。組織の「公式の」管理と影響の下に戻ってしまうことになる。

私は、かつて、親類と友人を混同していた。私は、過去に私の必要を満たす意志があった人、満たすことができた人と、今現在私の必要を満たしている人々とを混同していた。カルトのメンバーと本当の人々とを混同していた。ものみの塔を去ってからしばらくの間は、私は組織のリーダーや自分の会衆のメンバーに忠誠を保ち続けていた。しかし、信頼できる資料に基づいて教理を検証し、古い出版物をよく読んだあとは、精神的にも霊的にも解放された。

私は、元メンバーとして、誰にでも話し掛けることができるということを強調したい。私の方は誰とでも話せるのだ。現役のメンバーこそ罰を受けているのだ。リーダーの命令で、私に話し掛けることができず、ものみの塔に批判的な文献を読むことができず、元証人の書いた本を読むことさえできないのは、彼らの方なのだから。

私が知っているあるエホバの証人には息子と娘がいる。二人ともエホバの証人として育てられた。娘はバプテスマを受け、息子は受けなかった。思春期になって、二人ともタバコを吸い出した。娘はバプテスマを受けていたために喫煙の罪で排斥になった。娘は引っ越して、結婚して、出産し、集会に出るのをやめてタバコを吸い続けた。父親は7年間娘に話し掛けてもいないし会ってもいない。孫娘とも話したり会ったりは一度もしていない。

息子もエホバの証人の集会に出るのをやめて、引っ越して、結婚し、子供が二人生まれた。そして、タバコも吸い続けている。しかし、バプテスマを受けてはいなかったので排斥にはなっていない。父親は息子がタバコを吸い続けているにもかかわらず、息子や二人の孫とのつき合いを続けている。

もし父親が、(タバコを吸うという)行動に対して交わりを絶つのであれば、息子と娘の両方と忌避しなければならないはずだ。息子とはつき合いを続けているのだから、私にはエホバの証人のバプテスマこそ許されない罪だと思えてならない!

「エホバの証人としての人生、そして私が辞めたわけ」(匿名) 48年間活発に奉仕していた主婦がエホバの証人を辞める

「エホバの証人としての人生、そして私が辞めたわけ」(匿名)
48年間活発に奉仕していた主婦がエホバの証人を辞める

Active Witness Mom Quits Jehovah's Witnesses after 48 years of Service "My Life as a Witness and Why I Left",(anonymouse) Free Minds Journal. http://www.freeminds.org/stories/ssalg.htm
(2002年4月22日掲載・2003年7月6日改訂)

人はさまざまな理由からグループに入ったり、出たりするものです。私たちのような他のグループのことを全く知らなかった人間が、このグループを離れるというのはまれなことだと思います。私たち夫婦はともにエホバの証人の3世で、子供たちすべてをエホバの証人として育てましたが、ここ4年で私たちの近親者はすべてエホバの証人を辞めました。

私は証人であった頃多くのことを学びました。多くの国籍の異なる人々と親睦を深め、様々な人と心を通わすことができました。逆境に立ち向かう勇気を身につけ、どんな状況下でも話せるようになりました。私は積極的に戸別訪問に参加し、一カ月に平均して25-30時間を費やす活発な伝道者として48年間歩んできました。聖書を愛するようになり、誠実に神に仕えてきました。人々に愛を示し、もてなしの精神を持っていました。また社交性にも富んでいました。私たちの家で社交的な集まりやパーティーを数多く催し、プロに負けないほど多くの結婚式を企画しました。楽しい生活を送っており、何も変えるつもりはありませんでした。人生を楽しむためにエホバの証人を辞めなければならないなんて考えもしませんでしたし、数年前まで自分はとても従順だと思っていました。

私はある思いを長い間抑えていました。それは何かする人より何もしない人のほうが立派なエホバの証人とみなされているという認識です。過去もそして現在でも、証人は大学に進学することや、家を購入すること、結婚すること、子供をもうけること、地域活動に参加することを勧められてはいません。私の「友達」はすべてエホバの証人でしたし、身内も全員エホバの証人でしたので、世間から非常に隔離された生活を送っていました。しかし私はその箱の中で幸せでした。

母親として子供を愛していましたので、彼らが成長するに従って、教えられることはすべて教え、またできる限り多くの技能を習得させたいと考えていました。私たちの子供には長年にわたって水泳とピアノのレッスンを受けさせました。これは例外的なことだと思います。なぜなら私の知る限り、他にピアノを習っていたエホバの証人の子供は二人しかいませんでしたから。組織は放課後のスポーツ活動を禁じていましたが、私たちは子供たちをいろいろなところに連れて行き、スキーを習わせたりもしました。彼らは運動が得意で概してすばらしい人生を送っています。私は非常に組織だった行動をとるようにもなりました。会衆での多くの活動や、集会、奉仕で、また夫は26年間長老でしたので家を空けることが多かったこともあり、私はとても多忙な日々を送っていましたが幸せでした。命じられた通りに行動し、たとえ教義や規則に理解できない点があっても、それを表に出すようなことはしませんでした。

エホバの証人の教えで私が承服できなかった最大の点は、大学教育に関してでした。私は大学への進学をあきらめましたが、この競争の激しい世界で生きていく上で、専門的な能力が必要であると強く感じていました。長女が地元のコミュニティーカレッジに進学したとき、彼女と関係を絶つ人が出てきました。当時彼女は二人と研究し、ものみの塔の組織に導いていたのに。息子は大学に進学したとき完全に断絶されました。このような雰囲気は上から、つまり統治体からもたらされるものですが、彼らはそれが一般証人の間からわき上がってくるものであり、自分たちは神が用いておられる不完全な人間にすぎないという印象を私たちに与えようとしていました。

この著しく権威主義的で管理された集団内で、必ずしもすべての人間が傷ついているわけではありません。私や家族の誰かが批判されるようなことがあっても、私は自分自身や家族に「人の言うことなんて気にすることないわ。ただ正しいと思うことをしなさい。みんな不完全なんだから、心配しなくていいのよ」といつも言い聞かせていました。私たちは誠実に他の人も当然しているであろう「正しいこと」をしようと努めていました。振り返ってみて私が今感じるのは、私が融通の利く人間であったのに対し、上に立つ人々はそうではなかったということです。全体としてこの組織は15年前よりもはるかにかたくなで、支配的、そして権威主義的になっています。

私は長老が無慈悲であったり、お粗末な助言を与えたり、柔軟性を欠いた人を傷つけるような規則をつくったりする場面を幾度となく目にしました。ベテルで働いている長老が、自ら同じ問題を抱えているにも関わらず、飲酒に関する問題を抱えている他の人たち、たいていは立場の弱い若い人々を排斥したのを知っています。私はたいへん子供好きなので、彼らともっと心を通わすよう努めるべきだと強く感じています。決して「邪悪」なわけではない、多感で悩みを抱えた若者と交わりを絶ったり、排斥したりするべきではありません。

私たち家族は「ハルマゲドンが1975年に来る」という考えが盛り上がり、そしてそれが偽りであったことが明らかになっても組織から離れることはありませんでした。そう教えられている時でさえ私も夫も信じてはいませんでしたが、その雰囲気に飲み込まれていました。しかし統治体(この組織を動かしている少数の老人)が何らかの「特別な知識」を持ち、1914年を見た世代がハルマゲドンの来る前の最後の世代、つまりこの世代 にあたるということを「知っている」と何度も教えられ、そう信じていました。四世代にわたって(私の祖父母から私の成人した子供に至るまで)終わりは「目前に迫って」いました。

1995年11月1日号の『ものみの塔』で「世代」の解釈に変更が加えられたとき、私は感情を爆発させましたが、その気持ちは夫以外には伝えませんでした。六カ月の間、末の子は何度も自殺を図りました!そのとき私は聖書とものみの塔の出版物だけを使って、本当にすべてを調べました。家族でカウンセリングも受けました。エホバの証人に反するものは一切読みませんでしたし、組織を離れるよう説得するような人と話すようなこともありませんでした。それは自分で決めるべきことでした。それでも奉仕や集会に一度参加しなかっただけで、避けられるようになりました。私たちが1年半前に参加しなくなってから三人の女性と(私たちが招いた)二組の夫婦しか私たちを訪ねてくることはありませんでした。「背教者」の烙印を押され、そして完全に関係を絶たれたことはとてもショックでした。何年にもわたって忠実に仕えてきたのに、だれも私たちに手を差し伸べてはくれませんでした。私は巡回監督や長老にエホバの証人の教えに関していくつかの質問をしましたが、答えようとはしませんでした。協会は今まで私たちを幾度となく欺いてきました。しかしそんなことより、私たち家族全員が思いやりのない扱いを受け、即座に関係を絶たれたことにショックを受けました。

私たちはもうエホバの証人ではありません。王国会館に行くのを辞めるのは非常につらいことでした。みんなのことを友人や家族だと思っていたのに。私は何年にもわたって伝道中にサタンの影響を受けていると何度も言われました。今もエホバの証人の「友人」二人から悪魔的であると言われています。偶然エホバの証人に会うと、私は「おかしくなった、死にそうだ、体も弱っている、正気を取り戻せば群れに復帰するだろう」と言われます。彼らのことは全く気にとめていません。私たちは元の小さなそして幸せな家族に戻ったのです。慣れるまでの間つらい日々が続きました。今も多少そうですが、以前よりももっと幸せで、現実的です。末の子も今は元気になって、大学に通っています。
私がエホバの証人を辞めることになった要因

1. 私は本を読むのが大好きですが、私はエホバの証人に批判的なものを目にしたり耳にしたことはありませんでしたし、そうしようとも思いませんでした。それは禁止されていて、私は従順でしたから。私はエホバの証人として育てられましたので、大学に進学することは許されませんでした。しかし自分の子供にはできる限り多くのことを学ぶよう励ましました。家族を養うにはさらなる教育が必要であると考えていましたので、どういった教育を受けるかは子供たちに自由に決めさせました。

2. 私は見下すような扱いは受けたくありません。フェアに接してもらうのが好きです。私たちが辞めてから三人の女性が私を訪ねてきました。私が以前の「友人」に電話をかけると、けんもほろろでした。留守電にメッセージを残すと、彼女の夫が電話してきて「何が望みだ?」と言われました。

3. 何年にもわたって欺かれてきたことをはっきりと悟ったとき、組織から出ることにしました。1975年が宣伝された時代を生き、また「協会」が不誠実であることを知りました。彼らが1995年に「世代」の解釈を変更したとき、私の心は激しくかき乱されました。私の知る限り、その記事のことを話題にする人はいませんでしたが、私にとっては協会が行った最大の変更でした。何年にもわたって教義や規則に変更が加えられてきましたが、私は協会が言うことすべてに「従う」よう慣らされていました。

4. 私の息子が自殺を図ったとき、地元のすべての長老たちが、そして協会もそれを知っていたのに、何の助けも与えようとはしませんでした。息子は教えられてきたことを心から信じ、実践していました。私たちはなぜ王国会館で多くの人が息子を避けるのか理解できませんでしたが、だれも理由を教えてくれませんでした。その後息子は一時的な喫煙を理由に即座に排斥されました。

5. 私のエホバの証人の友人には鬱病でプローザック等の抗鬱剤を服用している人が本当にたくさんいました。私も変わらなければ(離れなければ)彼らと同じようになるだろうと感じていました。

6. 私は輸血や兵役に関する問題を注意深く研究しました。私は協会が世間の評判を気にして方針を変更しているんだと思います。集団が小さければ、良い評判しかたちませんが、組織が巨大になり莫大な資産を手にすると、それを保護し、敵意に満ちた政府や地域からの「迫害」を避ける必要に迫られます。協会は個々人を気遣うことはありません。人数と統制にしか興味がないのです。

7. 私は自分自身で決定を下すことができないということにうんざりして辞めました。自分が尊敬できないような独裁的集団に支配されることが嫌になったのです。半世紀が過ぎ、もう大人にならなければならないと思いました。

エホバの証人をしていたころ私がどう感じていたかは、次のような短い話で説明することができます。私は子供の、「リーダーに従え」ゲームを延々とやっていたような気がします。このゲームで大冒険が始まります。リーダーの後について曲がりくねった道を進み、輪を飛び抜け、そして岩を上ります。他の子供と遊ぶのは楽しいものです。とげとげの藪(やぶ)やどろどろのぬかるみを抜けて進みます。岩を上るときに転んだり、切り傷を負ったりする子がいます。列の後ろにいる子が小声で尋ねます。「ぼくらをどこに連れていくの?怪我してる子もいるんだよ!」すると前の子に頭を殴られます。リーダーは怒鳴ります。「ボクはおまえらより賢いんだぞ。行き先は分かってる。ゲームを続けるんだ。付いて来い」。ついに小さな子はリーダーも自分と同じ、ただの子供だということに気づきます。怪我をするのが嫌になり、ゲームももう楽しくありません。そして一人で遊ぶか他の子を探して一緒に遊ぶことにします。「リーダーに従え」ゲームをやめると意地悪な子が叫びます。「もう一緒に遊んでやらないぞ。おまえなんて友達じゃない」。

私は協会がこのところ行ってきた変更によって、全く別の集団に生まれ変わるのではないかと思います。おそらく大多数の「忠実」な証人は気づきもしないでしょう。私は記念式の出席数が1998年に前年から42万6千人減少したことに気づきました。目を覚ました人が決して少なくないということでしょう。この集団は「霊的パラダイス」であると宣伝していますが、多くの人にとって霊的強制収容所と化しています。

私は元エホバの証人にアドバイスしたいと思います。「思いやりを持ち、そして礼儀正しくありなさい!どんなときでも!」と。

排斥されたり、家族や友人に断絶されても、常に彼らに話し掛けなさい。親や友達に電話をしなさい。彼らが返事の電話や手紙を送ること、あるいは話し掛けることを拒否し続けるなら、彼らは神のみ前で不親切であったことの責任を取らなければならないでしょう。あなたの方から踏み出して、一緒にいて安心できる人を求めるなら、喜んで親切にしてくれる人は世の中にもっとたくさんいます。

「霊的中毒からの立ち直り」   by Joseph F. Kelly

「霊的中毒からの立ち直り」   by Joseph F. Kelly

Joseph F. Kelly, "Resurrection of Spiritual Junky,"Captive Hearts, Captive Minds: Freedom & Recovery from Cults and Abusive Relationships" by Madeleine Landau Tobias, Janja Lalich, Michael Langone, p.89-91からの抜粋

※「自由への脱出 カルトのすべてとマインドコントロールからの解放と回復」マデリン・ランバートバイアス/ジャンジャ・ラリック(著)(南暁子・上牧弥生訳/中央アート出版社)が出版される前に掲載した私訳ですが、2003年7月1日に一部改訂しました。

…自信を取り戻すために、私は義弟と一緒にかなり体を使う仕事をしました。肉体労働は、再び集中力を取り戻すのに役立ちました。心がさまよいがちな傾向を直すための作戦の一つは、定期的な運動をすることでした。今でも、定期的な運動は頭をすっきりさせ、自分の体とつながっている感覚を維持するのに役立っています。もう少し自信がついてくると、私は実業界への最初の一歩を踏み出し、お店に季節の装飾を施す会社に勤めました。この仕事を通じ、私は管理能力と決断力を養うよう求められました。それによって、私はもっと、自分から動く人間になっていきました。

抑うつ感はその後8カ月にわたり、時々起こりました。セラピーを受けようかという考えも再浮上したのですが、心理療法に対する偏見を克服するのに時間がかかりました。私は、対等な人間として私と一緒に取り組んでくれる人、何かの権威というよりコーチになってくれる存在を必要としていたのです。私は何人かのセラピストと面接して、注意深く一人を選びました。この経験自体、私に力を取り戻させるものでした。

しばらくの間、私はグループのことを思い出させるトリガー(きっかけとなる出来事)に悩まされました。例えば、お香の匂いをかぐと、また詠唱しているような気分になったものです。音楽も、導師と結びついた感覚に引き戻すきっかけになりました。弟子であったときは、自分のもつ全ての感情を師に向けるように促されたものです。他の人物やものに対してはいかなる感情を向けることも許されませんでした。私は是認されない感情は何であろうと押さえつけるよう条件付けられていました。唯一の良い感情は「献身」の感情だったのです。今も車の運転中にラブソングが聞こえてくると、発作的に涙があふれます。私は喪失感、恋人を失ったばかりの人の気持ちを感じるのです。時々私は混乱して、このようなフローティング(揺り戻し)を経験すると、神があの道に戻るよう私を導いておられるのだと感じることもあります。

他の似たようなグループを離れた人たちの経験を考えるとき、私は自分に起きていることをより良く理解することができました。「フローティング」は多くの元メンバーが経験しており、その出来事にレッテルを付けることでその影響を無効にすることは(ちょうど爆弾から信管を抜いて解除してやるように)、私の回復にとって重要な部分でした。自分の反応がどこから来ているかを理解するのは、グループの条件付けと闘うのに役立ちましたし、グループに戻ろうという強迫観念も薄らいでいきました。トリガーがあっても心をさまよわせることを許さないようになって、自分の人生をコントロールできるようになり、これは自律を取り戻す上でのさらなる進歩でした。

私は、自分の人生に霊的な意味を見いだしたいと必死でした。自分が望んでいないものは分かっていました。依存的な状態を生む、偽の霊性、排他的・秘密主義的霊性です。知性と感情を一体化させる、円熟した霊性を必要としていました。私は自分の家族の伝統であるカトリックを再び探求することにしました。幸いなことに私は、繊細な対応をして下さる司祭に巡り会い、自分の問題について知的に話し合うことができました。

世間から離れて14年もグループにどっぷり漬かっていたことのツケは、確かにありました。カルトに入る前の自分、未来に抱いていた希望、元々の目標を思うと、自分について望んでいたことと、結局たどり着いたものの間には明らかな違いがありました。何が起こったかを整理するため、私はどうやってわき道にそらされたのかを注意深く調べました。このプロセスを通る上で、心理療法はとても役立ちました。

この世の中は、最初とても手ごわい場所に見えましたが、とても美しく、生きていくのがわくわくするような所であることが分かってきました。TMも導師も、世間がいかに冷たい場所かを強調し「泥沼のようなものだ」と言っていました。ですが社会に戻った今、私は彼らが教えていたことと、世間とが非常に異なっていることを知っています。私は真の友人や家族がいかに気遣いや助けを与えてくれるかを学びました。彼らはそのままの私を受け入れてくれました。彼らは何かを絶対的に信じることを求めたり、圧力を掛けたりしませんでした。

過去何年かの私の交友は、何がしかの形でカルトに関係あるものでした。グループ内では友情は即座に生まれ、表面的で、偽の親密感を与えていました。新しい友人を作ることは私の回復の重要な一部でしたが、葛藤でもありました。カルトは、この世の友情は現世限りのもので、究極的には無意味であり、自己中心的であり、相手から何をもらえるかに基づいていると教えていました。人に出会うために、どこへ行ったらいいのでしょうか? 何について話したらいいのでしょう? 何に共通基盤を見いだしたらいいのでしょう? 最初の段階は、人々をありのままに受け入れること、そして霊的に裁こうとしないことでした。

この時期に、私はカルト脱出後の生き直しを首尾よく果たした人たちと会いました。彼らは私を支えてくれ、私はお返しに、いろんなグループを出たばかりの他の人々を支えました。今、私は自分の決断に自信を持っていますし、もう二度と戻りたいという気持ちを感じません。私は自分の体験を他の人に分かつ一方で、集団の影響力、催眠、行動修正技術、思想改造について学び続ける中で、この点をはっきりできるようになりました。集団はとかく、何をどのように学ぶべきか、誰が正しい情報源か、何を避けるべきかを押し付けがちです。自分に何が起きたかを理解し、同じ過ちを繰り返さないようにすることは重要でした。私はCAN(カルト警戒ネットワーク)やAFF(アメリカ家族財団)の会合から今も益を得てはいますが、同時にこれら以外の所から情報を取り入れる必要も感じています。

若者として当時自分が持っていた目標や期待を振り返ると、他の多くの人たち同様、歴史的に理想主義的な背景の中に自分がいたことが分かります。今、私は自分の目標を実現し、理想主義的性質を満足させる道を見いだしました。東洋思想グループで過ごした背景と、比較宗教学の分野での学問的訓練により、私は他の人を助ける機会と能力を得てきました。これは私が影響教育の分野でキャリアを積む基礎となり、私は人々が自分のグループ参加を再評価することを援助しています。これは、自分の過去をプラスに用いることができる、報いある経験です。

私はまた、バランスのとれた生活を送る必要も感じています。他の人を助けることも大切ですが、カルトの過去とは無関係の人生を持つことも同じように重要なことと思います。旅行、交友、文学、映画、政治、人権、家族は私の生活を豊かにしてくれる関心事であり、かつて私が徹底的に隅に追いやっていた多様性をもたらしてくれるものです。人生は厳しいものですが、気分を浮き立たせてくれるものでもあります。たった一つのことに焦点を合わせていたかつての時期からすれば、さわやかな変化です。

自分の経験を振り返ると、私は「究極の自由」と呼ばれていた「束縛」の中に逃げ込んでいたのだと思います。カルト参加の束縛から私を解放してくれた唯一のものは、内面の自分の統一感でした。私はこの部分だけは決して譲りませんでした。それは押さえ込まれ、教理によって何重にも覆われ、隠され、近づきがたくされてはいましたが、決して失われてはいなかったのです。「自由からの逃走」の中でエーリッヒ・フロムはこう書いています。「逃避はかれの失われた安定を回復することはなく、ただ分裂した存在としての自我を忘れさせるだけである。かれはその個人的自我の完全性を犠牲にして、新しいはかない安定をみつける。かれは孤独にたえられないので、自我を失う道を選ぶ。このようにして、自由-…からの自由…-は新しい束縛へと導く」(日高六郎訳)。

「ママがついた嘘」(抜粋)  by Randall Watters

「ママがついた嘘」(抜粋)  by Randall Watters

"LIES My Mother Told Me," by Randall Watters Free Minds Journal. http://www.freeminds.org/psych/lies.htm
(2002年4月22日掲載・2003年6月22日改訂)

カルトは大きな家族、正確に言えば虐待的な家族です。悪い家庭環境では、父母は子供の生活のあらゆる面を支配しようとします。何を質問して良いのか悪いのか、目上の人に話をするときはどういう姿勢、どういう声の調子ですべきか等々。子供が犯す失敗には不釣り合いな懲罰が与えられ、相手への信頼など別世界のものです。

普通の健康な家庭では、規則は一時期だけ与えられるもので、いずれは信頼と、自分で決定する責任にとって代わられます。ですが、カルトの「子供」たちはそのような責任を与えられることはありません。そんなことをすれば、行動の多様性という容認しがたい状態が生じるからです(カルトではクローンのような行動が肝要)。カルトメンバーは指導者から信頼されておらず、指導者も自分たちの行動規範がメンバーにとって自然でも人間本来の振る舞いでもないこと、目の前で何度も手本を演じなければならないことを知っています。「ロープを与えてはいけない。首を吊りかねないから」というのがカルト指導者の心理です。結果として、末端信者は子供として扱われ、重要な決定を任されません。

普通の家族でも、両親が「ちょっとした罪のない嘘」を使って、子供に対するややこしくて気まずい説明を避けることはあります。パパがママに隠れて何をしているか、サンタクロースの正体は誰か、ママにぼくのおもちゃを買うお金があるかどうか、などです。とはいえ、子供が成長するにつれ、こうした嘘が使われなくなり、親が自分の弱さを認めるようになるのが望ましい姿です。

不幸にして、一部の親は子供がかなり成長しても、自分が全知全能だという偽りのイメージを保とうとします。そのような(広い意味での)子育ての例がものみの塔です。

エホバの証人にとってエホバは父であり、組織は母です。これは最初からか弱く幼い心に刻み込まれます。ママの言うことを聞かないと家族から追放される、という恐れは証人の脳裏に常にあります。

ママは自分も間違いを犯すことを知っていますが、子供たちにそのことを話題にされるのは耐えられません。ママが弱みを見せたら子供たちは敬意を失うだろうと思っているのです。

ランダル・ワッターズの証し(1974~1980年 ものみの塔本部で奉仕)

ランダル・ワッターズの証し(1974~1980年 ものみの塔本部で奉仕)

"Testimony of Randall Watters" Free Minds Journal. http://www.freeminds.org/history/watters.htm
(2002年4月22日掲載・2003年7月21日改訂・2005年7月22日追記)

2年間の開拓奉仕の後、私は「神の組織」の中心であるベテルで働くことになりました。そこでの生活はさぞ素晴らしいものになるだろうと、とても楽しみでした。ベテルに入るとすぐに私は印刷機の操作を学び、『新世界訳』や『助け』の本など多くの出版物を印刷しました。1977年までに私はフロア監督とベテル長老に任命されていました。聖書の印刷機の責任者となり、オフセット印刷の訓練学校を立ち上げる手助けもしました。その後、印刷工程全体を一新するプロジェクトにも加わりました。講演者としてニューイングランド全域を定期的に旅行し、多くの友人を作り仕事を楽しんだものです。私はこれこそ本当に「神の組織」だと確信していました。「忠実な奴隷」の考えに反する考えを抱いている人を見つけると報告するほど熱心な、まさに私は「組織人間」でした。

私の見方に大きな変化が訪れたのは1979年初めのことです。3人の工場監督と一緒にマサチューセッツへの出張の道中、私たちは救いにおける信仰の重要性と、組織が個人の業を(真の信仰よりも)大きな問題と見なし、伝道時間を報告させたり、個人の活動の記録を保管していることなどを話し合いました。このころから私は聖書、特にローマ人とガラテヤ人へのパウロの手紙の研究を始め、興味はますます深まる一方でした。月曜夜のベテル家族の「ものみの塔」研究が終わった後、私は聖書研究の会に参加しました。私たちはいろんな翻訳の聖書を使い、新約聖書を一章一章調べていきました。そのグループの参加者の目には、ものみの塔が「聖書について」言っていることと、実際に「聖書を学ぶこと」の間に大きな違いがあることが明らかになりつつありました。

そのころ統治体が1914年の年代の信ぴょう性について討議した(と言うよりむしろ、その件を取り上げたがすぐに却下された)という噂が漏れたことがあります。また、一揃いの規則集に従って生きるのでなく個人の良心を育てることの大切さについて、繰り返し言及されるようになりました。組織の中で、一定の自由が許されるようになりそうな気配がしてきました。職業と私生活の分野で、証人により多くの自由を与えるように見える記事も出されました。

例えば「ものみの塔」1972年10月1日号(日本語版1973年1月15日号)の「あなたの良心とあなたの職業」の記事です。その中ではタバコ農園で働く証人には、その仕事を続けるか辞めるかは本人の良心にまかされる、とはっきり書かれていました。それから数カ月もたたずに、兄弟たちが自由を行使し過ぎているので規則を設けるべきだという苦情が、長老たちから統治体に寄せられるようになりました。1976年9月号(日本語版1976年11月号)の「王国奉仕」3ページでは、証人は決して「タバコの生産、販売、普及に携わることはできない」と述べました。統治体の成員ミルトン・ヘンシェルは、かつて別の良心上の問題に関し「もし兄弟たちにこれを許したら、どこまで行ってしまうか分からない」と言ったことがあります。ローマ7:6やガラテヤ 2:16-21, 3:10のパウロの言葉に真っ向から対立していますが、統治体は「兄弟たちを列からはみ出させないように」規則を作る必要があると見なしたのです。私はベテルの責任ある地位にいる人々が何度も繰り返し「兄弟たちに任せてはおけない」と言っているのを聞いたものです。言い換えれば、平均的な証人はエホバを愛しているだけでは問題から解放されなかったのです。証人は、自分の全生活を支配する規則、門限、制限が必要なのです。ですが監督としての私の経験は、それとは反対のことを教えてくれました。人を信頼すれば、相手は安心感を持ち、仕事を達成するためにますます働くようになるのです。不幸にしてベテルではこのような雰囲気は一般的ではありませんでした。

1979年後半までは、個人的意見も親しい友の間で話し合うことができました。「年季の入った」ベテル奉仕者の間では、大半の統治体や執筆委員会の間に教理を巡る意見の相違があることはよく知られていました。例えば「目ざめよ!」誌の前編集者であるコリン・クワッケンブッシュは、「144,000 人」(天的級)は一世紀終わりまでには選ばれていたはずだ、なぜなら歴史が示すところによれば初期教会には何百万人ものクリスチャンがいて、その多くが殉教の死を遂げたのだから、と考えていました。組織の第4代会長であるフレッド・フランズは時々、ある教理は自分の個人的意見であり他の統治体メンバーの一致した見解ではないことを断らねばならない、と言っていました。とはいえ1979年も終わるころになると、そのような相違があることをあえて認める人は誰もいなくなりました。

サンチェスが排斥され、レイ・フランズが審理に掛けられている間、次に「首を切られる」のは誰だろうという噂が飛び交ったものです。新たに統治体に入ったメンバーは、代わる代わるこれら「背教者」を非難し、古くからの成員に自分たちの忠誠を証明しました。有名な聖書の注解書(バーンの新約注解)が禁じられ、図書室から消えたこともありました。一部のベテル奉仕者が個人研究でその本を用い、ものみの塔の底の浅い学識を見破って批判したからです。自分たちの教理の土台に対する不安を明らかにしたのは、「ものみの塔」1981年8月15日号P.28 ,29(日本語版1981年12月15日号P.24, 25)でした。その中で「ものみの塔」誌を用いないで聖書を研究したいと望む人々を槍玉に挙げています。「一人であるいは小さなグループに分かれて家庭で聖書だけを読んでいれば十分だ、と彼らは言います。ところが不思議なことに、彼らはそのような『聖書朗読』を通してキリスト教世界の僧職者が著わした 100年前の聖書注釈書に教えられている背教した教理に逆戻りし…」。

重要な点はここです。証人は自分で聖書の解釈を行うことを許されておらず、ニューヨークにいる数人の人間の、常に変わる解釈に頼らなければならないのです。彼らのうち誰一人としてギリシャ語やヘブライ語の学者ではなく、聖書の翻訳を職業にしている訳でもなく、まして何百万人もの人々の人生を支配することを仕事にしている訳ではないにも関わらず、です。

キリスト教は体験的な信仰です。あなたは仲介者としてのキリストの下に来て、罪の許しを求め「新たに生まれる」(ヨハネ3:3-7)のです。キリスト教とは神が人を通して働くのであって、人が神の代わりに働くのではありません。ローマ人とガラテア人への手紙を研究した後に、私がこれを悟ったとき、キリストの内にある命への鍵は「恩寵」であることが間もなく明白になりました。これについては1981年に、主イエスキリストと新約における救いについての、私の感覚を反映した小冊子、『1980年の春、エホバの証人の世界本部で何が起きたか?』の中で書きました。そのころ私は、再び生まれ、まさにすべての信仰者に約束された、内に宿る聖霊の祝福を経験しました。私の人生を変えたと言える偉大な真理は、次のヨハネ8:34-36(New American Standard)の言葉で要約できるでしょう。

イエスは彼らに答えられた。「真実に、真実に、あなた方に言いますが、罪を犯すすべての者は罪の奴隷です。そして、息子はいつまでも家にとどまっていますが、奴隷は永久に家にとどまっているわけではありません。それゆえ、御子があなた方を解放するなら、あなた方は確かに自由にされるのです。」

私の書いた中でもお気に入りの一つ、「クリスチャン生活のルール」と題した記事は、キリスト教の救いを平易に伝えています。もし時間があるようでしたらお読みください。そしてもしそれがあなたの心に触れたなら、私にお知らせください。

敬具
 ランディー

2002/1/16更新:ほぼ50歳になるランダル・ワッターズによる

1. ママがついた嘘
2. 霊的中毒からの立ち直り
3. 「証人としての人生、そして私が辞めたわけ
4. 忌避 - 「エホバの証人の信仰の一部
5. 身体的・感情的虐待による人格障害
6. 「ものみの塔の子供たち」
7. 女性がものみの塔で失った年月を取り戻すために
8. カルトにいたことを子供にどう伝えるか
9. ランダル・ワッターズの証し (1974~1980年 ものみの塔本部で奉仕)
10. 「自由思想の代償」
11. 排斥:ものみの塔という椅子を支える一本の脚
12. ものみの塔の歴代会長の時代別概観

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