2010年1月14日木曜日

「霊的中毒からの立ち直り」   by Joseph F. Kelly

「霊的中毒からの立ち直り」   by Joseph F. Kelly

Joseph F. Kelly, "Resurrection of Spiritual Junky,"Captive Hearts, Captive Minds: Freedom & Recovery from Cults and Abusive Relationships" by Madeleine Landau Tobias, Janja Lalich, Michael Langone, p.89-91からの抜粋

※「自由への脱出 カルトのすべてとマインドコントロールからの解放と回復」マデリン・ランバートバイアス/ジャンジャ・ラリック(著)(南暁子・上牧弥生訳/中央アート出版社)が出版される前に掲載した私訳ですが、2003年7月1日に一部改訂しました。

…自信を取り戻すために、私は義弟と一緒にかなり体を使う仕事をしました。肉体労働は、再び集中力を取り戻すのに役立ちました。心がさまよいがちな傾向を直すための作戦の一つは、定期的な運動をすることでした。今でも、定期的な運動は頭をすっきりさせ、自分の体とつながっている感覚を維持するのに役立っています。もう少し自信がついてくると、私は実業界への最初の一歩を踏み出し、お店に季節の装飾を施す会社に勤めました。この仕事を通じ、私は管理能力と決断力を養うよう求められました。それによって、私はもっと、自分から動く人間になっていきました。

抑うつ感はその後8カ月にわたり、時々起こりました。セラピーを受けようかという考えも再浮上したのですが、心理療法に対する偏見を克服するのに時間がかかりました。私は、対等な人間として私と一緒に取り組んでくれる人、何かの権威というよりコーチになってくれる存在を必要としていたのです。私は何人かのセラピストと面接して、注意深く一人を選びました。この経験自体、私に力を取り戻させるものでした。

しばらくの間、私はグループのことを思い出させるトリガー(きっかけとなる出来事)に悩まされました。例えば、お香の匂いをかぐと、また詠唱しているような気分になったものです。音楽も、導師と結びついた感覚に引き戻すきっかけになりました。弟子であったときは、自分のもつ全ての感情を師に向けるように促されたものです。他の人物やものに対してはいかなる感情を向けることも許されませんでした。私は是認されない感情は何であろうと押さえつけるよう条件付けられていました。唯一の良い感情は「献身」の感情だったのです。今も車の運転中にラブソングが聞こえてくると、発作的に涙があふれます。私は喪失感、恋人を失ったばかりの人の気持ちを感じるのです。時々私は混乱して、このようなフローティング(揺り戻し)を経験すると、神があの道に戻るよう私を導いておられるのだと感じることもあります。

他の似たようなグループを離れた人たちの経験を考えるとき、私は自分に起きていることをより良く理解することができました。「フローティング」は多くの元メンバーが経験しており、その出来事にレッテルを付けることでその影響を無効にすることは(ちょうど爆弾から信管を抜いて解除してやるように)、私の回復にとって重要な部分でした。自分の反応がどこから来ているかを理解するのは、グループの条件付けと闘うのに役立ちましたし、グループに戻ろうという強迫観念も薄らいでいきました。トリガーがあっても心をさまよわせることを許さないようになって、自分の人生をコントロールできるようになり、これは自律を取り戻す上でのさらなる進歩でした。

私は、自分の人生に霊的な意味を見いだしたいと必死でした。自分が望んでいないものは分かっていました。依存的な状態を生む、偽の霊性、排他的・秘密主義的霊性です。知性と感情を一体化させる、円熟した霊性を必要としていました。私は自分の家族の伝統であるカトリックを再び探求することにしました。幸いなことに私は、繊細な対応をして下さる司祭に巡り会い、自分の問題について知的に話し合うことができました。

世間から離れて14年もグループにどっぷり漬かっていたことのツケは、確かにありました。カルトに入る前の自分、未来に抱いていた希望、元々の目標を思うと、自分について望んでいたことと、結局たどり着いたものの間には明らかな違いがありました。何が起こったかを整理するため、私はどうやってわき道にそらされたのかを注意深く調べました。このプロセスを通る上で、心理療法はとても役立ちました。

この世の中は、最初とても手ごわい場所に見えましたが、とても美しく、生きていくのがわくわくするような所であることが分かってきました。TMも導師も、世間がいかに冷たい場所かを強調し「泥沼のようなものだ」と言っていました。ですが社会に戻った今、私は彼らが教えていたことと、世間とが非常に異なっていることを知っています。私は真の友人や家族がいかに気遣いや助けを与えてくれるかを学びました。彼らはそのままの私を受け入れてくれました。彼らは何かを絶対的に信じることを求めたり、圧力を掛けたりしませんでした。

過去何年かの私の交友は、何がしかの形でカルトに関係あるものでした。グループ内では友情は即座に生まれ、表面的で、偽の親密感を与えていました。新しい友人を作ることは私の回復の重要な一部でしたが、葛藤でもありました。カルトは、この世の友情は現世限りのもので、究極的には無意味であり、自己中心的であり、相手から何をもらえるかに基づいていると教えていました。人に出会うために、どこへ行ったらいいのでしょうか? 何について話したらいいのでしょう? 何に共通基盤を見いだしたらいいのでしょう? 最初の段階は、人々をありのままに受け入れること、そして霊的に裁こうとしないことでした。

この時期に、私はカルト脱出後の生き直しを首尾よく果たした人たちと会いました。彼らは私を支えてくれ、私はお返しに、いろんなグループを出たばかりの他の人々を支えました。今、私は自分の決断に自信を持っていますし、もう二度と戻りたいという気持ちを感じません。私は自分の体験を他の人に分かつ一方で、集団の影響力、催眠、行動修正技術、思想改造について学び続ける中で、この点をはっきりできるようになりました。集団はとかく、何をどのように学ぶべきか、誰が正しい情報源か、何を避けるべきかを押し付けがちです。自分に何が起きたかを理解し、同じ過ちを繰り返さないようにすることは重要でした。私はCAN(カルト警戒ネットワーク)やAFF(アメリカ家族財団)の会合から今も益を得てはいますが、同時にこれら以外の所から情報を取り入れる必要も感じています。

若者として当時自分が持っていた目標や期待を振り返ると、他の多くの人たち同様、歴史的に理想主義的な背景の中に自分がいたことが分かります。今、私は自分の目標を実現し、理想主義的性質を満足させる道を見いだしました。東洋思想グループで過ごした背景と、比較宗教学の分野での学問的訓練により、私は他の人を助ける機会と能力を得てきました。これは私が影響教育の分野でキャリアを積む基礎となり、私は人々が自分のグループ参加を再評価することを援助しています。これは、自分の過去をプラスに用いることができる、報いある経験です。

私はまた、バランスのとれた生活を送る必要も感じています。他の人を助けることも大切ですが、カルトの過去とは無関係の人生を持つことも同じように重要なことと思います。旅行、交友、文学、映画、政治、人権、家族は私の生活を豊かにしてくれる関心事であり、かつて私が徹底的に隅に追いやっていた多様性をもたらしてくれるものです。人生は厳しいものですが、気分を浮き立たせてくれるものでもあります。たった一つのことに焦点を合わせていたかつての時期からすれば、さわやかな変化です。

自分の経験を振り返ると、私は「究極の自由」と呼ばれていた「束縛」の中に逃げ込んでいたのだと思います。カルト参加の束縛から私を解放してくれた唯一のものは、内面の自分の統一感でした。私はこの部分だけは決して譲りませんでした。それは押さえ込まれ、教理によって何重にも覆われ、隠され、近づきがたくされてはいましたが、決して失われてはいなかったのです。「自由からの逃走」の中でエーリッヒ・フロムはこう書いています。「逃避はかれの失われた安定を回復することはなく、ただ分裂した存在としての自我を忘れさせるだけである。かれはその個人的自我の完全性を犠牲にして、新しいはかない安定をみつける。かれは孤独にたえられないので、自我を失う道を選ぶ。このようにして、自由-…からの自由…-は新しい束縛へと導く」(日高六郎訳)。

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