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マタイによる福音書
マタイによるふくいんしょ Gospel according to Matthew
1.プロローグ
新約聖書の冒頭におかれている書。「マルコによる福音書」「ルカによる福音書」とともに、共観福音書の一書にかぞえられる
2.成立
初期のキリスト教の研究者は、この書をマタイ、マルコ、ルカの3福音書の中で最古のものと考えた(したがって新約聖書の冒頭におかれている)。また、著者は十二使徒のひとりマタイで、70年のエルサレム崩壊の直前にパレスティナで執筆されたという。現在もこの見解はのこっているが、通説では「マルコによる福音書」がもっとも古いものとされる。福音書の記述およびそれ以外の資料にもとづく研究によると、著者はおもに「マルコ」と、「Q資料」とよばれるイエスの語録の2つを原典としてこの福音書をまとめたようである。ただし、「Q資料」は福音書の成立を研究するための仮説資料で、実在しない。
本書が使徒マタイの手になるものだという説にも疑問がだされている。しかし、本当の著者がだれであれ、ユダヤ人だということはほぼ確認されている。それは、この福音書がユダヤ人社会の戒律や律法や生活のきまりに何度もふれており、当然ユダヤ人をよく知る者によって執筆されたと考えられること、またユダヤ人キリスト教徒を読者に想定しているらしい箇所がいくつかあることなどから類推される。
この福音書が執筆された場所もわかっていない。パレスティナという説のほかに、シリアのアンティオキアなど初期のキリスト教の中心地だという説もある。執筆の時期については一般に70年以降、おそらく80年ごろと考えられている。
3.内容
「マタイによる福音書」は、イエス・キリストの5つの説教を中心に構成されている。5つの説教は、それぞれ、イエスの行いに関する物語によってはじまる。これらの挿話はいわば前置きで、各説教によって具体的に解釈されていく。中心となる5つの説教の前には序論がおかれ、後ろには本書の頂点をなす2つの物語がつづく。この最後の物語は、1番目がイエスの受難、2番目はその復活をえがいている。したがって、「マタイ」は全部で8つの部分にわけることができる。
序論(1~2章)は、イエスがヘブライ人の先祖アブラハムの子孫でダビデ王家の出身であることをしめしたうえで、その誕生と幼児期についてのべる(1章18 節~2章23節)。「マタイによる福音書」だけにしるされている有名な物語もいくつかある。たとえば、東方の賢者の来訪、すなわち「占星術の学者たちが東のほうから」(2章1節)きたことや、ユダヤの王ヘロデが男の幼子を皆殺しにするよう命令したため、ヨセフとマリアがおさないイエスをつれてエジプトへ逃亡したこと、そしてヘロデの死後に一家がエジプトからもどってきたことなどである。
下の5つの説教は、いずれも「イエスがこれらの言葉をかたりおえられると」という同じ文句でしめくくられており、おもに「マルコによる福音書」と「Q資料」から引用されている。最初の4つの説教はガリラヤを舞台とし、5番目の説教の舞台はエルサレムである。
1 第1の説教第1の物語(3~4章)には、洗礼者ヨハネによるイエスの洗礼、荒れ野での試練、そして宣教生活の開始がしるされている。つづいて山上の説教(5~7章) がえがかれる。イエスは自分が「律法」や「預言者」を完成するためにきたといい(5章17節)、群衆に対して「権威ある者として」(7章29節)教えを説いた。山上の説教には、真福八端(5章1~10節)と主の祈り(6章9~13節)もふくまれている。
2第2の説教第2の物語(8章1節~9章34節)は、イエスが信仰の力をとおして病人や老人をいやしたことをしめす。第2の説教(9章35節~10章42節)は、イエスが十二使徒に、「イスラエルの家のうしなわれた羊のところへいって」(10章6節)病人をいやし、神の言葉をつたえるよう命じ、使徒の制度を確立させたことをえがく。
3第3の説教第3の物語(11~12章)では、イエスの行いと教えに対してファリサイ派の人々がはげしく反論する。第3の説教(13章1~52節)の主題は天の国である。イエスはたとえ話の中で天の国についてかたり、群衆になぜたとえ話をもちいてはなすのかと弟子たちにきかれ、こうこたえる。「あなたがたには天の国の秘密をさとることがゆるされているが、あの人たちにはゆるされていないからである」(13章11節)。この説教ではさらに、種をまく人(13章18~23 節)や毒麦(13章24~30節)、からし種(13章31~32節)のたとえ話も、もちいられている。
4第4の説教第4の物語(13章53節~17章23節)は、イエスがナザレの人々にうけいれられないことからはじまる。さらに、洗礼者ヨハネの殉教、イエスがおこなった数々の奇跡と癒し、ペトロがフィリポ・カエサレア地方で信仰を表明し、教会の礎としてえらばれたこと、イエスがみずからの受難と復活を預言したこと、そしてイエスの変容がえがかれている。第4の説教(17章24節~18章35節)は、教会の運営に関するものである。なお、「マタイによる福音書」の16章 17~19節と18章17節が、4福音書の中で「教会」という言葉をつかっている唯一の箇所であることは注目に値する。
5 第5の説教第5の物語(19~22章)には、ユダヤからエルサレムにむかうイエスの最後の旅行と、エルサレムへの入城がえがかれ、神殿から両替人をおいだす場面も登場する。また、皇帝におさめる税金や復活について、「律法の中でもっとも重要なおきて」(22章36~37節)について、メシアの先祖について、イエスとサドカイ派およびファリサイ派の人々の間で議論がたたかわされる。
最後となる第5の重要な説教は、2つの部分にわけることができる。前半(23章)でイエスは、ファリサイ派の人々と律法学者を非難し、「外側は人にただしいようにみえながら、内側は偽善と不法でみちている」(23章28節)といった。後半(24~25章)では、この世が終わりをむかえるときにどのようなしるしがあるかを使徒におしえた(24章3節)。さらに、イチジクの木のたとえ(24章32~33節)、10人の乙女のたとえ(25章1~13節)、タラントンのたとえ(25章14~30節)をとおして、天の国がくることをおしえ、最後の審判をくわしく説明した(→ 終末観)。
5つの説教につづく2つの物語の第 1(26~27章)は、イエスが香油をそそがれたこと、ユダの裏切り、最後の晩餐(ばんさん)、ゲッセマネの園で苦悩するイエスとその逮捕、裁判、磔刑、イエスの死、埋葬をえがく。第2の物語(28章)は、イエスが復活し、使徒を国じゅうに派遣して宣教させたことをえがいて福音書をむすんでいる。
「マタイによる福音書」に固有の記述や細部は、これら2つの物語の中にある。たとえばイエスを裏切ったユダが自殺したこと(27章3~10節)や、ローマ総督ピラトの妻がみた夢(27章19節)、ピラトがイエスの死の責任は自分にないといって手をあらったこと(27章24~25節)、イエスの死の後におこった地震(27章51~53節)、イエスの墓の番兵(27章62~66節)、イエスが復活するときにおこった地震(28章2~4節)、そして復活したイエスがマグダラのマリアとヤコブの母マリアの前に姿をあらわし、その後、ガリラヤで弟子たちの前にあらわれたこと(28章16~20節)である。
4.特徴
「マタイによる福音書」の特徴は、イエスが約束されたメシアであり、律法がさだめる「ダビデ王の子」であることを強調し、教会に関することがらを重視していることにある。本書がユダヤ人キリスト教徒のために書かれたことは、旧約聖書を成就する者としてイエスをえがいていることなどから推測される。さらに独特なのは、ペトロを十二使徒の中の最優位においていることである。ペトロはイエスに指名されて「天の国の鍵(かぎ)」(16章19節)をさずけられている。
使徒に関する記述は4つの福音書のいずれにもあるが、本書ではとくに強調されている。イエスが使徒たちをどうよんだか、どのような説教をしたか、彼らがイエスをいかにして裏切り、しかし復活したキリストがいかに彼らをゆるしてふたたび弟子としてむかえたか。「マタイによる福音書」には、これらのことが具体的にしるされている。
この福音書は、成立した当初からキリスト教に重要な影響をあたえてきた。真福八端や主の祈りやキリストの受難の話は一般によく知られており、ほかの福音書にも同じような記述があるが、朗読されたり引用されるのは「マタイ」からが多い。
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